「行け、行け、私の両足!」 金子 政彦
1.私の内に働くもの/私は音楽をよく聴く。楽曲の好き嫌いはあ
る。嫌いな曲は割とことばにして説明できるのだが、好きな曲は、
ことばにならないことが多い。先日、ふとしたことで聴いた曲が、
頭から離れなくなった。それどころか、その曲を聴くと、涙が出て
くるのだ。なぜだろうと考えた。
2. 行け、行け、私の両足!/その曲は、普段私が、(絶対に)食指
を動かさないジャンルの曲。イントロからマイナーコードで、不協
和音を伴いながら、不穏に始まる。そのまま進行するのだが、サビ
の部分で一転、メジャーコードに展開し、爽快な世界が拡がる。
「誰にも負けたくないんだ!」、「誰にも抜かれたくないんだ!」、
「風、風…、背中を押してよ! 導いておくれよ!」、「行け、行け、
私の両足!」…とはっきり、きっぱり言い放つ。鮮烈なコントラスト
なのだ。
3. こころの中のコントラスト(明暗)/ 私たちの心のなかにも、光
と影(コントラスト)がある。さまざまな考えや思いの対比がある。
楽しいこと、嬉しいこと、ワクワクすることに対比して、つらいこと、
悲しいこと、ションボリすること…さまざまな思いが渦巻く。日常
生活の中で起こる出来事の強烈なコントラストで自分自身が傷つ
かないように、私たちは、なんとか心のバランスを取ろうしている
のかもしれない。そのバランスが崩れるとき、私たちはうずくまっ
てしまうことがある。もうだめだ…と覚悟を決めてしまうこともあ
る。圧倒的な現実の前に、自分の言いたいことが言えなくなって
しまう。
4. 御心のままに行わせておられる神/しかし、私たちは不安定
な心の中の真っ暗闇の中でも、光を見る。心の中の絶望的な孤独
の中でも、「大丈夫だよ」という声を聴く。私たちが意識するにし
ろ、しないにしろ、私たちの思いや考えは神の御手の中にあると
聖書は言う。『律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためで
ありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう
満ちあふれました。』(ローマ 5:20)
神の前に的外れな状態となっている私。的外れの中でも、自分
で自分をなんとかしようとあがく私。あがいても何ともできない
私。自分で自分を信頼できない私。それが私の罪…。その罪が律
法によって(言い換えると世間の評価基準によって)明らかになれ
ばなるほど、イエス・キリストの福音(恵み)はいっそう満ち溢れる。
私たちの『絶望』と『希望』の鮮烈なコントラストがここにある。
私たちの悲しみや痛み、苦しみ、絶望は、イエス・キリストによっ
て、そのままにはされない。イエス・キリストと共に悲しみや痛み、
苦しみ、絶望を体験するからこそ、はっきりと分かる神の恵みの確
かさ。「うずくまっているあなたよ。私が共にいる。大丈夫だ。立ち
上がれ、歩みだせ、走り出せ!」 その声を聴くとき、心が揺さぶら
れ、涙が止まらなくなるのだ。強烈な転調で、自分の気持ちをスト
レートにことばにした楽曲 …そのことばは、メロディに乗って私
の心の琴線に触れ、私を励ます心の声に聴こえたのかもしれない。


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