「子ろばに乗って」 マルコによる福音書 11章1~11節ここに記されている物語は、「主イエスのエルサレム入城」、そう呼ばれます。これは日曜日の出来事だと推測することができますので、「棕櫚(しゅろ)の日曜日の物語」とも呼ばれます。では、このマルコによる福音書には、棕櫚という植物の名前が出てくるわけではありません。ヨハネによる福音書...
「荒野の誘惑」 マタイによる福音書 4章1~11節 大野裕昭今朝の聖書箇所の冒頭に、「悪魔から誘惑を受けるため」ということと「霊に導かれて」と書かれていることは矛盾するように見えます。しかしこの両面を見据えておかなければならないでしょう。それは、イエス・キリストが誘惑を受けることには、神の意志があったということです。イエス・キリスト...
「愛に生きよ」 マタイによる福音書 5章38~42節今朝の聖書箇所は、「あなたがたも聞いているとおり」といって、よく知られた「目には目を、歯には歯を」という古い戒めから始まります。これは旧約聖書の出エジプト記21章22~25節、レビ記24章20節などにも記されています。古くはバビロン(現在はイラクの首都バグダッドの南約90キ...
「怒ることがあっても」 エフェソの信徒への手紙4章17~32節「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」。この言葉の前25節には、次のように記されています。「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです」。私たち人間が隣人に対して「偽り」...
信仰への出発点 ローマの信徒への手紙8章12~17節 私たちがキリスト教信仰に近づこうとする時には、まず「研究(警戒)」の態度を取るのではないでしょうか。確かにそれはきわめて当然のことであり、また健全なことでしょう。たとえば相手が人間の場合でも、初対面の相手に対して「研究」するのは、当然のことであり、健全なことでしょう。...