「痛みへの共感」 内山賢次
- kogabaptist
- 8月15日
- 読了時間: 3分
☆「水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ ノマシテクダ
サイ 死ンダハウガマシダ 死ンダハウガ アア
タスケテ タスケテ 水ヲ 水オ ドウカ ドナタ
カ オーオーオーオー オーオーオーオー 天ガ裂
ケ 街ガ無クナリ 川ガ ナガレテヰル」原民喜(1
905~1951 広島生) 敗戦直後の悲しみの中に留ま
り続ける原民喜の原爆小景の詩は被爆者の叫びが聞
こえる。☆「各国の水をめぐる問題を知ることは、
それぞれの国の社会や文化を理解することに繋が
る」(モンゴル354万人・ガチョールト水源からトー
ラ川の地下水くみ上げる水源地視察後の天皇会見20
25.7.)☆天皇が皇太子時代1987年に訪問したポカ
ラで、子どもは数十㌔離れた水くみが日課で、順番
待ちであることを知ったと言う。ずーっと水と子ど
もと貧困に関心を抱き続け、7月のモンゴル訪問で
水源地の視察が実現したのだろう。☆2011年8月ネ
パール・ポカラ郊外の中腹の山奥のミンクマリさん
一家の2階に民泊をした。ランプの灯りの下、父親
はじっと僕ら二人が食べているのを眺めているだけ
であった。彼女は片隅で看護学校の試験勉強に精を
出していた。明け方2階の窓から下を覗くと18歳の
彼女が夕べ食した鶏料理鍋皿を洗っていた。足元に
日暮れ前に水汲みに行った時のポリタンクがある。
30分ほどにある山水を一日2回汲みに行くことが日
課であった。村から数十㌔にウルミラさんが助産師
として活躍している。2010年に来日し研修されたウ
ルミラさんに触発され、カトマンズの看護専門学校
を目指していると言う。2日後にウルミラさん宅に
泊まった時も水は超貴重であった。☆「自然相手は、
ただ根気 何があっても ただ水やり 褒められて
もくさされても ただ水やり 誰が去っても倒れて
も ただ水やり 嬉しくても疲れていても ただ水
やり 風が吹いても日照りでも ただ水やり 邪魔
されても協力されても ただ水やり 誰が何と言お
うと ただ水やり 魔法の薬はありません」中村哲
(1946~2019ペシャワール会現地代表)☆中村哲医
師はアフガニスタンでの気候変動で2000年の大飢饉
から100の診療所より一本の用水路建設に踏み出し
たのも、水汚染による感染症の蔓延の源を断ち切る
決断であった。医者、井戸を掘り、地下水が枯渇す
ると恒久的な用水路により、緑の大地が生まれ、家
族は離散をすることはない。大麻栽培、傭兵、難民
の道を選ぶことなく家族が同じ屋根の下で普通に暮
らす。畑、田を耕し小麦、米、芋、野菜そして蜂蜜
を生産する生活者が戻る。「三食を家族そろって共
に食べる」状況が平和と言う。
☆人間に関心を抱き共感をすることは命を大事にして
いるからである。いのちを大切にするものは、人間を
大事にする。人間を大事にするものは人間に共感をす
る。人間に共感するものは痛みに共感する。イエスの
譬え話、いなくなった息子(ルカ15:11~)の父親は息子
を見つけて憐れに思い、走り寄った。「憐れ」の原語は
スプランクニゾナイ、腸がちぎれると言う意味だ。イ
エスご自身の痛みへの共感を痛感する。☆痛みへの共
感から牧会が生じる。教会の歴史にも記録されない行
動(牧会)であっても必ず届き痛みが和らぐ。記録がな
くても記憶は残る。
Comentarios