「限りある生命」 という祈りの言葉泉清隆
- kogabaptist
- 11月21日
- 読了時間: 2分
「生命の源である神さま、地上の生命には限りが
あることを知りながらも私たちはその現実をしっか
りと見つめることができない時があります。そして
私たちも詩人のように、「昼も夜も、私は涙を食物
とする」(詩編42編4節)と嘆き「あなたの神はど
こにいるのか」と自分の心に問いかけてしまいます。
今与えられているこの生命、委ねられている一日一
日、今まで受けてきた神さまからの多くの恵みと愛、
私たちを支えてくださっている多くの人々の暖かさ
や友情を感謝する心よりも死が私たちをそれらから
引き離すことに恐れを抱いてしまいます。
生命の主である神さま、時には生命は自分のもの
であり、その生命をどう生きようと勝手だといった
傲慢な気持ちになったこともありました。自分の思
うようにならず身体が意のままにならず、愛する人
々すら心の不満やいらだちを理解してくれないと嘆
いたこともありました。ふり返ってみると本当に恥
ずかしく思います。あなたを信頼しているつもりだ
ったのに、自ら神さまの愛から離れてしまいがちで
した。
どうか私の心の奥底にまでもう一度声をかけてく
ださい。地上の生活がどのくらい残されているかを
計り知ることはできません。知りたいと思うのは事
実です。しかし、委ねられているこの生命があなた
のみ手のうちにあることを信じる時、地上での時間
は問題ではないことを理解させてください。平安は
あなたからのみ与えられるのです。」
わたしは信じる。なぜなら、主は生きておられる
から。


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