「掲示板~福音を伝える物~」 松藤 真理奈
教会の前にある「掲示板」。朝になると、いろんな人がその前 で足を止めます。毎日のように見ていく人。じっくり読んで いく人。そして、なぜか犬たちも立ち止まります…。犬流の挨 拶の場になっている様子。この「掲示板」は、ずっと教会の前 に立っています。夏の暑い日も、冬の寒い日も。雨の日も、風 の日も。よく見ると、木にはたくさんの傷があります。ひびが 入ったり直してもらったところ。全部、教会ががんばってき たしるしですね。昨日は、東福岡教会の深見さんが掲示板の 見積もりに来てくださっていました。「おもしろいね」「なるほ どね」と楽しそうに掲示板をながめます。傷や修理の跡を見 つけるたびに、昔この掲示板を作った人や、大切に守ってき た人たちの姿が見えてくるようでした。教会にとって掲示板 は大切な存在です。道を歩く人に、そっと言葉を届けます。 古賀教会の福音を伝え続けてきた、小さな伝道者です。今、 その掲示板を修理しようと考えています。きれいになった掲 示板がこれから先もずっと、教会の顔として、たくさんの人 を迎えてくれますように♪ 「なんと美しいことか。良
ペンテコステ礼拝?
ペンテコステとは、ギリシャ語の「50」の意味で、イー スター(復活祭)から 50 日目に信徒たちに「聖霊」が降 り、そこから「教会」が生まれたことを記念しています。 神様の霊である「聖霊」が降ると、いろんな国から集ま った群衆に向けて弟子たちがそれぞれの母国語で語 りだしました。ペンテコステ礼拝では、聖霊が今も私た ちを助け導いてくださること。1 人ではなく、教会とし て共に歩むこと。神様が弱い私たちにも力を与えてく ださること。を覚えて感謝します。教会によっては、赤 い色(聖霊の炎)やハト(聖霊の象徴)風などをテーマ に飾り付けやメッセージをしたりします。
「土の器」 証し K.N
私が初めて讃美歌が好きになったのは、高校三年生の時に、 ある教会の新垣勉氏のチャペルコンサートを聴きに行って、 カセットテープを二巻購入してその中の讃美歌がいくつか 気に入り、愛唱するようになった頃です。特に今でも覚えて いるのは、「大波のように」「救い主は待っておられる」「ち いさなかごに」の三曲です。「大波のように」は私が精神障 害を発症した直後に自宅の自室にうずくまっていた時に、 テープを聴いていると、部屋の窓から本当に大波が打ち寄 せて来るように感じたことがありました。「救い主は待って おられる」は私が大学在学中に精神障害が再発した時に病 棟でみんなの前で歌ったことがありました。「ちいさなかご に」は私が古賀教会に導かれてバプテスマを受けたばかり の時にM.KさんとYさんが歌ってくださったこと がありました。そんな風に讃美歌が好きでしたので、西南学 院大学のチャペルで讃美歌をみんなで歌う時には大声で歌 っていました。アメリカからの留学生が壇上で紹介されて いた時に嬉しそうに私を見ておられたこともありました。チ ャペルクワイアで歌っていた時
「血が通うように」 内山 賢次
小鳥のシジュウカラが「ディーディー」の鳴き声は鳥の会話だと 気づいた動物言語学者・鈴木俊貴さん(1983~)はシジュウカラ に言葉があると感情表現ではなく言葉だと世界で初めて研究発 表しました。今日も小鳥が何を考え、しゃべっているのか、解き明 かし続けています。☆「例示として『おふくろの味』は皆さんがそれ ぞれの家庭料理を思い出し、それぞれがそれぞれの違う味を想像 します。このように自分の経験を当てはめて、『おふくろの味』とい う言葉の意味を想像します。つまり、経験があってその言葉は意 味を成します。自然環境と共生していくためには、一人ひとりが体 験を通してその豊かさに気づくことが大切です。身近な鳥の言葉 が分かるようになれば、自然に目を向ける人も増えます。そして結 果として自然にも他者に対しても優しくなれるはずです」。各々の 経験があってこそ言葉の意味発見があると鈴木さんは語っていま す。☆イエスの体には神の言葉をまず聞こう、つまり会堂で教える 時も、律法を語る時、宣教する時、弟子と話す時、癒しの時更に共 食の時にも脳裏(体)には今、神の言葉を
松藤 真理奈
雨の日が続き、やっと晴れたと思ったら、草花が元気 いっぱいになりました。「育ててくださるのは神様です よ」と有田さんが教会にお花をくださいました(^-^)感 謝。わたしは神様の創られた動物や植物が好きです。礼 拝堂に植物があるとホッとします。そこを通してみんな で一緒に礼拝しているような気持ちになり、嬉しくなる からです。世界を「耕す」のが神さまにいただいている 人間の本当のお仕事。神様が世界にみ言葉の種を今日 も、蒔かれる。世界(神様の畑)から、「平和」「慰め」「喜 び」「恵み」「愛」を耕してつくるお手伝いが私たちの仕 事。雨の日は雨宿りして休んでもいい。晴れの日はぽか ぽかしてていい。暑すぎる日は神様の木陰でひと休みし てもいい、イエス様が寄り添ってくださる。そんな1人ひ とりの仕事の恵みをわけあっていきましょう。
『 海 と 風 』 松藤 真理奈
古賀バプテスト教会に来て、印象的だったのは海の風 でした。聖書において海と風は、人間の力ではどうにも ならないものとして、よく登場します。 でも、そのすべての場面で、主は救われるのです。ヘ ブライ語聖書(旧約)では、モーセを通して海を2つに分 け、海の間から救われました。また新約聖書では、弟子 たちが嵐に沈みそうな舟の中にいた時、イエスさまが嵐 を静め、助けられた。また、パウロも、嵐で海に沈む船に 乗っていたが、海の中から岸へ救い出された。 人間の力では、どうにもならないものの上に、主が確 かにおられる。自然や動物、風、空気、空、宇宙、地球大 きなものから、虫、土、微生物、宇宙線ニュートリノまで。 人間の力ではどうにもならないものは山のようにある。 けれども、その上に主がおられると繰り返し、聖書は教 えているのです。 古賀バプテスト教会の周りには、今日も風がふいてい る。子どもたちがシャボン玉を飛ばすと、すぐ風にのって 飛んでいってしまう。・・・そんなみえない神さまの力。見 えないけど確かにここに動いている主の力がある。 今、2025年まで導かれ
「道ばた」 松藤 真理奈
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔い ている間に、ある種は、道端に落ち、鳥が来て食べてしまっ た。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土 が浅いのですぐに芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、 根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち た。すると、茨が伸びて塞いだので、実を結ばなかった。ま た、ほかの種は、良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、 あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍に なった。そして「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。 (マルコによる福音書 4章3~9節) 春の道端で〈小さな白い花〉に出会いました。名前は「蚤 の綴り(ノミノツヅリ)」。ノミの粗末な着物という意味。小さ な小さな葉をノミの衣にたとえた名前。とても小さくてかわ いい服。少し歩くと「雀の帷子(すずめのかたびら)」に出会 いました。雀が着るような着物にたとえた名前。なかなか恰 好良い小さな服。・・・春の道端はいろんな情報がいっぱい です。そして、あるものは鳥に食べられ、あるものは石だら けの中に、あるものは繁
「熊本地震から10年」 松藤 真理奈
2016年4月14日21時26分と16日1時25分に発生した 「熊本地震」。震源に近い益城町では震度7を記録。強い揺 れによって山間部では土砂崩れが発生し、特に南阿蘇村で は、道路や橋などが大きな被害を受けました。死者は約27 0人、18万人が非難した。あれから10年。 この災害では、避難生活の過酷さも大きな課題として浮き 彫りになりました。慣れない環境での生活による体調不良 で、多くの方が命を落とされたのです。電気やガスなどは一 時的に途絶え、その復旧には長い時間を要しました。 益城町は、私の母の故郷でもあり。曾祖母の家があった 場所です。私はボランティアとして現地を訪れ、全国から病 院に届く支援物資の仕分けや運搬、避難所の 清掃。飲 料水タンクの清掃と補充などに携わりました。当時訪れ た益城病院には、西南学院小学校の子どもたちに預かっ た励ましの 手紙を届けました。 数年後、その手紙に対する丁寧な返事をいただきました。 その経験を通して、「気持ちの届け合い」が人と人との絆を 育む大切な宝だであることを実感しました。このころ、仮設...
「すたーと」 松藤 真理奈
はじめまして。2026年度から古賀バプ テスト教会の牧師となりました。最初 に〈先生〉と呼ばれるのは嫌なので、 これまで通り「さん」か、必要な時は 「牧師」とお呼びください。よろしくお願いします。 昨年度までは、福岡市百道にある、西南学院小学校 で1~6年生の聖書科講師を16年務めていました。 今回初めての牧師の仕事は、教会のみなさんの長 い期間にわたる、招聘への祈りに始まりました。そ れは、招聘感謝の祈りとなり、就任まで毎週礼拝の 中でお1人ひとりに「松藤真理奈さんっ」と祈って いただけることになりました。本当に感謝です。こ んな贅沢な恵みを就任までずっといただけた牧師は いないのではないでしょうか。現在、前任牧師の泉 先生と、引継ぎをさせていただいています。そこで は、先の牧師先生がたの大きな働きと恵みを知らさ れています。また、数々の資料と、学びの軌跡から、 いくつもの大波をイエス様と一緒に渡って来た古賀 バプテスト教会の特別な1人ひとりに気付かされて います。 まだまだ欠けと弱さだらけの教会員の私ではあり ますが、みなさんの祈りと み言葉
「神の前に座る教会」 泉清隆
今週はイエス・キリストが十字架への道を歩まれ た受難週です。今日は人々が棕櫚(シュロ)の葉を敷 きしめてイエス・キリストをエルサレムに迎えまし たので「棕櫚の主日」Palm Sundayパームサンデ ーとなりました。木曜日はイエス・キリストが弟子 たちの足を洗われた「洗足木曜日」と最後の晩餐で す。金曜日がイエス・キリストが十字架にかけられ た「聖金曜日」Good Fridayグットフライデーです。 次週はイエス・キリストが復活されたイースター、 復活主日となります。心の内にイエス・キリストの 十字架への歩みを覚えたいと思います。 東山魁夷(ひがしやまかい)という方の「コンコル ド広場の椅子」と言う本から、それは公園のベンチ に人間の生活を見た、画家の東山さんの話です。 パリのコンコルド広場にある公園のベンチ。その ベンチにはいろいろな人が座る。言葉や人種や考え 方がそれぞれ違い、富んでいる人、貧しい人、幸せ な人、そうでない人、陽気な人、寂しい人、いろい ろな人がそのベンチに座る。椅子は人を選ばない。 どんな人でも座れる。椅子に拒否されることは

