平和に関する信仰的宣言【平和宣言】
前 文 「平和をつくりだす人たちは、さいわいである」と主 イエスは言われる。しかし今、世界は敵意に満ちている。殺 戮と報復が 果てしなく繰り返され、絶望が支配しようとし ている。 十字架の主イエスはこの世界において審きと和解 を為し、解放と平和を告げ知らせ、私たちを復活のいのち へと導かれ る。私たちは静まって沈黙し、主イエスの声に 聴く。教会は救われた者の群れとして応答に生きる。 神は 奴隷の地エジプトから人々を解放し、十戒を与え、救いの 出来事に応答して生きることを命じた。主イエスは十字架 と復活を通してこの律法を成就された。それゆえ私たちは 十戒を死文と化してはならない。教会は十戒を生きる。 こ の世界の中で主のことばに従って平和を創り出していくた めに、日本バプテスト連盟に加盟する私たちは主の恵みに 与りつつ、主の戒めに生きることを宣言する。
「9/27 古賀バプテスト教会 牧師就任式感謝礼拝」
牧師就任式感謝礼拝まで、あと2か月ほどとなりま した。その準備のため、8月から毎週礼拝後に5分ほど の準備会を行います。これまで金子純雄さん、片山寛 先生から、聖書と教会の歴史を通して就任式・按手式 について学ぶ機会をいただきました。その学びを受け て、今回の式を『古賀バプテスト教会 牧師就任式感謝 礼拝』としました。これは牧師個人を祝うためではなく、 神さまを主役とし、その導きに感謝する教会の礼拝で す。また、80年にわたる教会の歩みを覚え、これから の歩みを神さまに委ねる礼拝でもあります。みんなで この礼拝をつくっていきましょう。いよいよテイクオフ です!(松藤)
「 証 し 」 M.S
私は、2010 年 5 月 9 日、母の日にバプテスマを受けま した。それから 16 年が経ち今日、神様の前で証しが出来る 事を心から感謝いたします。 2000 年に父が天に召され、 翌年私に次々と病いがおそいました。その時母がずっと私 を支えてくれました。 母には苦労させたなあと、つくづく思 います。 母の介護と私の健康状態とで一日を過ごすのがや っとの日々、2008 年秋の特別伝導のちらしのポステイン グが古賀教会よりあり、引き寄せられるように 古賀教会へ 行ったのを覚えております。私と母の健康状態から思うよ うに教会へは 通えませんでした。2009年、大学病院へ植 皮する為、入院しました。その折、牧師先生よりのクリスマ スカードに「一人ベッドにある時も、主イエスがそこにおら れます。インマヌエル (神我らと共にあり)」の御言葉に涙し、 この時退院したらバプテスマを受けようと、心に決めました。 退院しまして、しばらくして母の体調がすぐれなくなりまし た。こんな事を考えると神様は、全てをお見通しで私と母を 愛してくださっていたのだと想います。
「神さまからの、よかよか」 木村 憲子
民生委員の研修で、立花高校の中村宏隆校長のお話を 聞く機会があった。(立花高校:不登校経験者が入学)。 通称「校長ちゃん」(生徒たちが呼んでいる、なんとも愛 らしい呼び名ですね)は、日々の教育環境の現場で感じ ることを話された。目からうろこのエピソードが満載。教 育哲学は『よかよか』。-『それでよかよか』の本の「ごめ んなさい」―という欄から紹介します。 大人の最も苦手な行為は「謝ること」だと常々思って います。形だけの謝罪ならいくらでもできるでしょうが、 時として自分に非があると分かっていればいるほど、不 思議と謝りにくくなってしまうものです。相手が子ども ならば、なおさらそうではないでしょうか。・・・皆さん、 さっさと謝ってしまいましょう。今です。今が無理なら今 日。この習慣が大チャンス。親であろうが教師であろう が、相手が誰でも誠実に謝るべきですし、その姿勢をみ せることこそが、子どもたちのその後に正しい成長をも たらしてくれるはずです。・・・・・「謝ったら負け」ではあり ません。大人だからって完璧でなくてよか!謝れる大人、...
「この石の前に~神学校週間によせて~」朴思郁(パクサウク)連盟宣教研究所所長・西川口キリスト教会牧師
「後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するの ですかとたずねる時は」(ヨシュア4:21)。 ヨルダン川を渡り終えたイスラエルの民が海底から取り 出した12の石は、ひとりの指導者が据えたものではありま せん。12の部族がひとつずつ担い寄せ、共に立てたものー 形として残すためでなく、世代が変わるたびに問いが生ま れ、主の救いの業が語り直され、信仰の本質が新たにされ ていく、生きた呼びかけなのです。 世界が激しく揺れ動く今、教会もまた高齢化、担い手の 減少、社会との関係の問い直しという現実の中に置かれて います。こうした時代であればこそ、改めて問い直さなけ ればなりません。1978 年の全国壮年連合第 1 回総会にお いて設置が決議されて以来、神学校週間は、伝道者を育て ることが信徒共同体の共に担う召命の営みであるという 信仰の証しとして、私たちの歴史に刻まれていきました。 今年も、6月 28 日から7月5日にかけて、私たちは再びこ の石の前に立ちます。神学生を覚えるこの1週間が、その 恵みの連なりと今この時代に引き受け、共に献身の意味を..
「証し」 A.O
私は福岡で産まれ、それから父親の仕事の関係で凄く引 越が多く、福岡~広島~兵庫~岡山~兵庫~千葉~大阪~ 福岡と転々と色々な所に住んでいました。 広島の時に通っていた幼稚園がカトリックで、これが私 が初めてのキリスト教との出会いでした。 しかし数年しか居なかった為に、殆ど記憶の無いまま引 越し関西に住みました。そして小学校に入り給食も有りまし たが、何より母親から毎食時に「TV 見ないで食べなさい。 早く食べなさい。三角食べしなさい。」と急かされ、給食で は食べる量も少ない上、スピードも遅かったので、毎日残 されて食べさせられっていました。だから私は子供の頃か ら食べる事が大嫌いでストレスでしかありませんでした。 人間関係も昔から独りっ子のせいか凄く下手で、特に中 学~短大の頃迄ずっとイジメに合い続け、物を隠される・仲 間外れにされる・嫌味や皮肉を言われる・バイ菌扱いされる と云う暗黒の学生時代を過ごし、その事を親に話す「アンタ が悪いから嫌われるれるのよ!」と一刀両断されて、私の 味方は全くいませんでした。 それからの私は親を殆ど信用出来ずに喧
「神が守る家」 金子政彦
キジバトの営巣 昨年 2025 年 12 月の年末に、我が家の庭木に、キジバトの夫 婦が四度目の営巣をした。これまでの三回巣立ちは、全て失敗し ている。ヒナが誕生するところまではうまくいくのだが、一週間程 度で、ヒナがいなくなってしまう。二羽のキジバトが巣の周りで呆 然とする様子が、切なく、かわいそうだった。何かの野生生物がヒ ナを食べていることが疑われた。 ヒナの死 そんな中、再び、キジバト夫妻が帰ってきた。何度も失敗してい る場所に、また戻ってくる。家族からは「なぜ学ばないのだろう?」 と疑問の声が上がる。しかし、今回は、年末から新年早々、四回目 の営巣。同じ敷地内に住む私としても、むざむざ失敗させるわけ にはいかない。巣に外敵が登らないように、幹にアクリル板を巻 いたり、木酢液でにおいをつけたりして、観察していた。 一月の中旬にヒナが二羽生まれた。親バトが、せっせとエサを与 える様子が愛らしく、観察が私の楽しみとなった。ところが、ヒナ 誕生から三日目の寒い朝、ヒナを温めて守っていたはずの親鳥が 巣にいないことに気がついた。あわてて巣をのぞく
「掲示板~福音を伝える物~」 松藤 真理奈
教会の前にある「掲示板」。朝になると、いろんな人がその前 で足を止めます。毎日のように見ていく人。じっくり読んで いく人。そして、なぜか犬たちも立ち止まります…。犬流の挨 拶の場になっている様子。この「掲示板」は、ずっと教会の前 に立っています。夏の暑い日も、冬の寒い日も。雨の日も、風 の日も。よく見ると、木にはたくさんの傷があります。ひびが 入ったり直してもらったところ。全部、教会ががんばってき たしるしですね。昨日は、東福岡教会の深見さんが掲示板の 見積もりに来てくださっていました。「おもしろいね」「なるほ どね」と楽しそうに掲示板をながめます。傷や修理の跡を見 つけるたびに、昔この掲示板を作った人や、大切に守ってき た人たちの姿が見えてくるようでした。教会にとって掲示板 は大切な存在です。道を歩く人に、そっと言葉を届けます。 古賀教会の福音を伝え続けてきた、小さな伝道者です。今、 その掲示板を修理しようと考えています。きれいになった掲 示板がこれから先もずっと、教会の顔として、たくさんの人 を迎えてくれますように♪ 「なんと美しいことか。良
ペンテコステ礼拝?
ペンテコステとは、ギリシャ語の「50」の意味で、イー スター(復活祭)から 50 日目に信徒たちに「聖霊」が降 り、そこから「教会」が生まれたことを記念しています。 神様の霊である「聖霊」が降ると、いろんな国から集ま った群衆に向けて弟子たちがそれぞれの母国語で語 りだしました。ペンテコステ礼拝では、聖霊が今も私た ちを助け導いてくださること。1 人ではなく、教会とし て共に歩むこと。神様が弱い私たちにも力を与えてく ださること。を覚えて感謝します。教会によっては、赤 い色(聖霊の炎)やハト(聖霊の象徴)風などをテーマ に飾り付けやメッセージをしたりします。
「土の器」 証し K.N
私が初めて讃美歌が好きになったのは、高校三年生の時に、 ある教会の新垣勉氏のチャペルコンサートを聴きに行って、 カセットテープを二巻購入してその中の讃美歌がいくつか 気に入り、愛唱するようになった頃です。特に今でも覚えて いるのは、「大波のように」「救い主は待っておられる」「ち いさなかごに」の三曲です。「大波のように」は私が精神障 害を発症した直後に自宅の自室にうずくまっていた時に、 テープを聴いていると、部屋の窓から本当に大波が打ち寄 せて来るように感じたことがありました。「救い主は待って おられる」は私が大学在学中に精神障害が再発した時に病 棟でみんなの前で歌ったことがありました。「ちいさなかご に」は私が古賀教会に導かれてバプテスマを受けたばかり の時にM.KさんとYさんが歌ってくださったこと がありました。そんな風に讃美歌が好きでしたので、西南学 院大学のチャペルで讃美歌をみんなで歌う時には大声で歌 っていました。アメリカからの留学生が壇上で紹介されて いた時に嬉しそうに私を見ておられたこともありました。チ ャペルクワイアで歌っていた時

