「血が通うように」 内山 賢次
小鳥のシジュウカラが「ディーディー」の鳴き声は鳥の会話だと 気づいた動物言語学者・鈴木俊貴さん(1983~)はシジュウカラ に言葉があると感情表現ではなく言葉だと世界で初めて研究発 表しました。今日も小鳥が何を考え、しゃべっているのか、解き明 かし続けています。☆「例示として『おふくろの味』は皆さんがそれ ぞれの家庭料理を思い出し、それぞれがそれぞれの違う味を想像 します。このように自分の経験を当てはめて、『おふくろの味』とい う言葉の意味を想像します。つまり、経験があってその言葉は意 味を成します。自然環境と共生していくためには、一人ひとりが体 験を通してその豊かさに気づくことが大切です。身近な鳥の言葉 が分かるようになれば、自然に目を向ける人も増えます。そして結 果として自然にも他者に対しても優しくなれるはずです」。各々の 経験があってこそ言葉の意味発見があると鈴木さんは語っていま す。☆イエスの体には神の言葉をまず聞こう、つまり会堂で教える 時も、律法を語る時、宣教する時、弟子と話す時、癒しの時更に共 食の時にも脳裏(体)には今、神の言葉を
松藤 真理奈
雨の日が続き、やっと晴れたと思ったら、草花が元気 いっぱいになりました。「育ててくださるのは神様です よ」と有田さんが教会にお花をくださいました(^-^)感 謝。わたしは神様の創られた動物や植物が好きです。礼 拝堂に植物があるとホッとします。そこを通してみんな で一緒に礼拝しているような気持ちになり、嬉しくなる からです。世界を「耕す」のが神さまにいただいている 人間の本当のお仕事。神様が世界にみ言葉の種を今日 も、蒔かれる。世界(神様の畑)から、「平和」「慰め」「喜 び」「恵み」「愛」を耕してつくるお手伝いが私たちの仕 事。雨の日は雨宿りして休んでもいい。晴れの日はぽか ぽかしてていい。暑すぎる日は神様の木陰でひと休みし てもいい、イエス様が寄り添ってくださる。そんな1人ひ とりの仕事の恵みをわけあっていきましょう。
『 海 と 風 』 松藤 真理奈
古賀バプテスト教会に来て、印象的だったのは海の風 でした。聖書において海と風は、人間の力ではどうにも ならないものとして、よく登場します。 でも、そのすべての場面で、主は救われるのです。ヘ ブライ語聖書(旧約)では、モーセを通して海を2つに分 け、海の間から救われました。また新約聖書では、弟子 たちが嵐に沈みそうな舟の中にいた時、イエスさまが嵐 を静め、助けられた。また、パウロも、嵐で海に沈む船に 乗っていたが、海の中から岸へ救い出された。 人間の力では、どうにもならないものの上に、主が確 かにおられる。自然や動物、風、空気、空、宇宙、地球大 きなものから、虫、土、微生物、宇宙線ニュートリノまで。 人間の力ではどうにもならないものは山のようにある。 けれども、その上に主がおられると繰り返し、聖書は教 えているのです。 古賀バプテスト教会の周りには、今日も風がふいてい る。子どもたちがシャボン玉を飛ばすと、すぐ風にのって 飛んでいってしまう。・・・そんなみえない神さまの力。見 えないけど確かにここに動いている主の力がある。 今、2025年まで導かれ
「道ばた」 松藤 真理奈
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔い ている間に、ある種は、道端に落ち、鳥が来て食べてしまっ た。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土 が浅いのですぐに芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、 根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち た。すると、茨が伸びて塞いだので、実を結ばなかった。ま た、ほかの種は、良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、 あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍に なった。そして「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。 (マルコによる福音書 4章3~9節) 春の道端で〈小さな白い花〉に出会いました。名前は「蚤 の綴り(ノミノツヅリ)」。ノミの粗末な着物という意味。小さ な小さな葉をノミの衣にたとえた名前。とても小さくてかわ いい服。少し歩くと「雀の帷子(すずめのかたびら)」に出会 いました。雀が着るような着物にたとえた名前。なかなか恰 好良い小さな服。・・・春の道端はいろんな情報がいっぱい です。そして、あるものは鳥に食べられ、あるものは石だら けの中に、あるものは繁
「熊本地震から10年」 松藤 真理奈
2016年4月14日21時26分と16日1時25分に発生した 「熊本地震」。震源に近い益城町では震度7を記録。強い揺 れによって山間部では土砂崩れが発生し、特に南阿蘇村で は、道路や橋などが大きな被害を受けました。死者は約27 0人、18万人が非難した。あれから10年。 この災害では、避難生活の過酷さも大きな課題として浮き 彫りになりました。慣れない環境での生活による体調不良 で、多くの方が命を落とされたのです。電気やガスなどは一 時的に途絶え、その復旧には長い時間を要しました。 益城町は、私の母の故郷でもあり。曾祖母の家があった 場所です。私はボランティアとして現地を訪れ、全国から病 院に届く支援物資の仕分けや運搬、避難所の 清掃。飲 料水タンクの清掃と補充などに携わりました。当時訪れ た益城病院には、西南学院小学校の子どもたちに預かっ た励ましの 手紙を届けました。 数年後、その手紙に対する丁寧な返事をいただきました。 その経験を通して、「気持ちの届け合い」が人と人との絆を 育む大切な宝だであることを実感しました。このころ、仮設...
「すたーと」 松藤 真理奈
はじめまして。2026年度から古賀バプ テスト教会の牧師となりました。最初 に〈先生〉と呼ばれるのは嫌なので、 これまで通り「さん」か、必要な時は 「牧師」とお呼びください。よろしくお願いします。 昨年度までは、福岡市百道にある、西南学院小学校 で1~6年生の聖書科講師を16年務めていました。 今回初めての牧師の仕事は、教会のみなさんの長 い期間にわたる、招聘への祈りに始まりました。そ れは、招聘感謝の祈りとなり、就任まで毎週礼拝の 中でお1人ひとりに「松藤真理奈さんっ」と祈って いただけることになりました。本当に感謝です。こ んな贅沢な恵みを就任までずっといただけた牧師は いないのではないでしょうか。現在、前任牧師の泉 先生と、引継ぎをさせていただいています。そこで は、先の牧師先生がたの大きな働きと恵みを知らさ れています。また、数々の資料と、学びの軌跡から、 いくつもの大波をイエス様と一緒に渡って来た古賀 バプテスト教会の特別な1人ひとりに気付かされて います。 まだまだ欠けと弱さだらけの教会員の私ではあり ますが、みなさんの祈りと み言葉
「神の前に座る教会」 泉清隆
今週はイエス・キリストが十字架への道を歩まれ た受難週です。今日は人々が棕櫚(シュロ)の葉を敷 きしめてイエス・キリストをエルサレムに迎えまし たので「棕櫚の主日」Palm Sundayパームサンデ ーとなりました。木曜日はイエス・キリストが弟子 たちの足を洗われた「洗足木曜日」と最後の晩餐で す。金曜日がイエス・キリストが十字架にかけられ た「聖金曜日」Good Fridayグットフライデーです。 次週はイエス・キリストが復活されたイースター、 復活主日となります。心の内にイエス・キリストの 十字架への歩みを覚えたいと思います。 東山魁夷(ひがしやまかい)という方の「コンコル ド広場の椅子」と言う本から、それは公園のベンチ に人間の生活を見た、画家の東山さんの話です。 パリのコンコルド広場にある公園のベンチ。その ベンチにはいろいろな人が座る。言葉や人種や考え 方がそれぞれ違い、富んでいる人、貧しい人、幸せ な人、そうでない人、陽気な人、寂しい人、いろい ろな人がそのベンチに座る。椅子は人を選ばない。 どんな人でも座れる。椅子に拒否されることは
「神の涙」 泉清隆
シンガーソングライターの岩渕まことさんは1953年仙台市生ま れで、NHK仙台のFMリクエストアワーのDJ、1977年、日本コロ ムビアよりシンガーソングライターとしてデビュー。ファーストアルバ ム「スーパームーン」はその年のコロムビアレコード新人賞を獲 得。その後、セカンドアルバム「エアーポケット」を発表。またドラえ もんの映画「のび太の宇宙開拓史」「のび太の大魔境」「のび太 の海底鬼岩城」他、アニメのテーマソングも歌っています。1980 年に小坂忠さんとの出会いでクリスチャンとなり、その後デュオで 日本国内、そして海外へと、精力的に活動を続けました。ところが 1987年に8才の長女の亜希子さんが召されました。岩渕さん夫 妻の娘さんの亜希子さんが6歳の時に頭が痛い頭が痛いと言っ て病院に行きます。脳腫瘍でした。脳腫瘍を取り除く手術を20数 時間かけてしました。一旦とれたかのように思ったのですが、2年 後8歳の時に天に召されたのです。 岩渕夫妻はクリスチャンでしたが大きな悲しみを覚えました。そ して、特にお連れ合いは神を責めます。どうしてあなたが
「私と東日本大震災」 松藤真理奈
2011年3月11日、14時46分、東日本大震災が発生しました。 東北の町に大きな地震が起こり、その後、巨大な津波が押 し寄せました。卒業式を目前に控え、幸せな時間を過ごし ていた町に、突然津波がやってきました。多くの尊い命が 失われました。この震災による死者・行方不明者は、およ そ2万2000人と言われています。 その日、実は糸島市に住む友人の息子さんが生まれまし た。しかし、震災のニュースを知った友人は、赤ちゃんが 生まれたことを、家族以外には知らせませんでした。こん な時に、おめでとうと言ってもらうのは「申し訳ない」。… そう思ったからです。 私もまた、なかなか「おめでとう」と言うことができま せんでした。実は3月11日は、私たち夫婦の結婚記念日でも ありました。しかし震災のあと、その日をお祝いすること も、いつの間にかなくなってしまいました。 当時、奇跡的に助かった人たちや、震災後のボランティ アに行った人の中には、こう思う人が多くいました。「どう して自分だけ生き残ったのだろう」「生きていて 申し訳な い」?本当は「申し訳ない命」など、
「業 火」 金子純雄
3・11を迎えるたびに、私はそれが何処なのか定かに は思い出せませんが、数日後に観たTVが映し出してい た石油コンビナートらしい処が燃えて広がり、炎と噴煙 が空を覆っている映像を思い出します。神戸・淡路大震 災の時もそうでしたが、燃え盛る火の中を逃げ惑う人々 の姿が80年前の福岡大空襲の体験と重なります。 前者は地震や津波と言う自然災害によるものと言う 一面があり、後者は明らかに人為的なものですから、並 列的に論じることは出来ないとは思いますが、果たしてそ う言い切れるでしょうか。 人類の歴史は「火」を発見し、自ら作り出すことによっ て発展を遂げてきたと言われます。他の被造物、ことに霊 長類の中でも、「火」を発見した人類は、それを自ら作り 出す知恵と技術を身に着けたことで、所謂「文明」社会 を生み出し、今日に至ったことは論じるまでもありませ ん。 火は光としても用いられました。東日本大震災の時、 停電のために真っ暗になった家の中を照らしてくれたの はロウソクの火でした。電線がつながり回復するまでの 間、ロウソクの火を囲むように食事をし、布団に身を

