《忘れないと他行》 内山賢次
普段の生活で初めて聞く言葉がある。新聞社の制作
部門の会話「ラテ面の下に広告をいれよう」はラジオテ
レビ欄の下方に広告を掲載しようと言う意味だ。業界用
語は略語でありその世界で即座に意思が伝わる単語は
便利かもしれないが、初めてその言葉に接するものには
奇異に感じる。☆「他行会員」はその一つだ。バプテスト
教会内では通じる単語で、無意識に会話に取り入れて
いる用語の一つであろう。他の行、「行」とは何を指すの
だろうか、「他人と自分」が反対語であるが、準じれば他
行に対して自行だろうか。自行と言えばおかしいが、キリ
スト教会内では教会員の名簿整理に現在会員、他行会
員と疑うこともなく会話をしてきたことが異常な光景かも
知れない。☆現在に対して過去が反対語である。つまり
現在会員に対して過去会員が妥当だ。年度末に多くの
教会が「他行」とした意味を考える機会が生じた。過去
会員があれば将来会員あるいは未来会員があっても良
いかもしれないが、それは見つけることはできない。過去
会員と位置付ければ過ぎ去った出来事であるとカテゴリ
ー化できるが、そうはあえてしなかったのは意味があるは
ずだ。☆そう考えれば「他行」は実に考えさせられる言葉
である。礼拝に1年以上の出席がない、又は月約献金も
同様に捧げられていなかったという事実から現在会員だ
け掲載されている会員名簿とは同列にしないで、単純に
削除したのかもしれない。一方で彼(女)の歴史は断た
れるので現在会員とは違う別紙に移すという考えに至っ
たかもしれない。☆別紙に移せば違うカテゴリーとあか
らさまになるので、現在会員と区別するために名簿の
「行」を一段か二段に分けたと想像もできる。行を変える
ことは別紙に移行することではなく、現在会員と同じ紙に
行間を開けて記載することに意味づけをして落着したの
かもしれない。つまり他行とはいえ、あくまでも現在会員
と同質の紙に俎上に載せることに意味があると。あなた
は教会の規則により、「現在」から外れていますよと言う
警告ではない。ましてや教会とは縁切りと言うものでもな
く、除外と言うものでもないという牧会出来事としたので
はないか。☆「その方は規則によって教会の奉仕を担わ
せてはいけない、月約献金ができない、しないのならば
せめて奉仕者のひとりになってよという展開になっては
いけない配慮がそこに在る。具体的には役員候補選出
に際して、被選挙権を持つと選ばれる可能性は否定でき
ない状況へと迫ってはいけない、また選ぶ側の責任も担
わせてはいけないと言う配慮がある」教会としての慮る
出来事として捉えようと言う趣旨を金子敬・前牧師が語
ったと金子政彦さんから教えて頂き、目から鱗がぽろりと
落ちこぼれた。
“留まるとは神を信じ、古い自分が死に、退路を断つことで
ある”と言葉が蘇る。金子牧師の古賀教会での最後(2017
年3月26日)の宣教「神の愛にとどまる」<Ⅰヨハネ4:1~2
1>を忘れない。☆「他行会員を忘れない、覚え続ける」覚
悟を泉清隆牧師は選挙管理委員の会で篤く語り掛け、後日
作成されたその名簿に「古賀教会会員・他行会員名簿」と
平衡明記されていた。教会の生き方は人間が統一するので
はなく神が統合する。つまりユダヤ人とギリシア人を一つの
体に統一したのではなく、神が既にある一つの身体は部分
(肢体)によって統合(成形)されちゃったのだという信仰であ
る。だからこそ、“神がおもうまま一人ひとりに分かち与え働
かせている”(田川訳)のではないか。Ⅰコリ12:12~26の
小見出し「一つの体、多くの部分」(新共同訳)の22節「か
らだのうちでより弱いと思われる肢体の存在することが、か
けがえのないことなのである」(岩波訳)を「他行」と照合し
てこころに刻みたい。
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