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「朝がくると」 金子政彦

1. 朝がくると

詩人まどみちおの詩に『朝がくると』という作品がある。

「朝がくると/とび起きて/ぼくが作ったのでもない/水

道で/顔をあらうと/…」

誰かが作った物に支えられている日常を描いている。

食べ物、道路、学校などと詩は続く。

ひとつひとつの向こうに、たくさんの人たちの仕事があ

る。

2. 聞け、イスラエル!

旧約聖書申命記にも同じような記述がある。

『あなたが自ら立てたのではない、大きな美しい町々、

あらゆる財産で満ちた家、貯水池、ぶどう畑、オリーブ畑

…、主を決して忘れないように注意しなさい』(申命記6:

10~12)

申命記の筆者は、『あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力

を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』と告げ、そのこ

とを心に留め、子どもたちにも繰り返し教えなさいとい

う。

3.喜びはどこから?

私たちはすでに与えられている恵みを見失うと、途端に

わがままになり、不安にさいなまれるようになる。

「私には喜びがない」とまじめに言い切ってしまったりす

る。

本当にそうだろうか。

聖書は、『わが魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何

ひとつ忘れてはならない』と忠告する。

4. 恵みを探してみる

神さまから与えられた恵みをひとつひとつ探してみるこ

と。

数えてみること。

それは、聖書が教える困難の克服方法の一つと言われ

る。

恵みを探し、数え、困難を克服した先には、続きがある

のだ。

私たちには、インマヌエル(私たちと共におられる神)、イ

エス・キリストがいらっしゃる。

様々な感情や事情を抱え、道を外している私たちに気

づき、探し、見つけ出し、連れ帰ろう、道に戻そうとされる。

私たちを生かすために十字架にかかり、復活されたイ

エス・キリストと共に生きること。

そのことが分かると、私たちは、私たちに与えられた目

標に向かって、再び歩みだすことができる。


『朝がくると』は、次のことばで締めくくられている。

「…ああ なんのために

いまに おとなになったら

ぼくだって ぼくだって

なにかを 作ることが

できるように なるために」

 

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