証し R.S
- kogabaptist
- 4 時間前
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私は、福岡市東区箱崎というところに生まれ社会人に
なるまで過ごしました。近くには筥崎宮や九州大学箱崎
キャンバスがあった辺りです。私と古賀バプテスト教会
(以下古賀教会)との出遭いは、私の父が1960年代、
古賀市千鳥にある東医療センターが、前身の国立療養
所福岡東病院だった時代に、結核で入院していたことに
由来します。その頃はアメリカ人宣教師によって病院伝
道がされており、父が導かれクリスチャンとなり、その後
父と母が結婚し、生まれた私と妹は物心ついた頃から、
毎週日曜日は父、私、妹の3人で、箱崎から古賀の教会
に通うのが当たり前の生活でした。
中学生になった頃バプテスマを受けることを希望しま
したが、母の反対でかないませんでしたが、短大一年生
の19才の時に、一つ年下の妹と一緒に、ここ古賀教会
で、斎藤英哉牧師からバプテスマ(洗礼)を受けました。
斎藤牧師からそろそろバプテスマどうですかと促され、
いずれ受けるならそろそろかなと思ったように覚えていま
す。クリスチャンになる前となった後で何か変わったかと
いうと何も変わるわけではありませんでした。ただこれま
で学校の友人等から、「教会に通ってるならクリスチャン
なの?」と聞かれて「いや私は洗礼はうけてないからクリ
スチャンではないんだけど、お父さんがクリスチャンだか
ら一緒に行ってるだけ」といった説明をする必要がなくな
り、シンプルに、「うんクリスチャンだから」と答えれるよう
にはなりました。(一般的に教会に行ってる人は皆クリス
チャンだと思われるているのでしょう。)とは言え、その後
も“私はクリスチャンです”と堂々と言えるのかという葛藤
はありました。自分から教会に行きたいと思ったわけでは
ないし、短大はミッションスクールでしたが、それをきっか
けに教会に通うようになっていたかどうか?親がたまたま
クリスチャンだったから成り行き上自分もなったのでは?
といったような思いです。その思いはずっとありました。し
かし人生のいろいろな出来事を経験する中で、全ては神
様の深い愛とお導きであったこと、当時の斎藤牧師や教
会員の皆さんの祈り、父の祈り、そして現在に至るまでい
ろいろな方の祈りがあったことを思う時に、言い訳ばかり
していた自分がいかに独りよがりであったかと、そして神
様と出遭わせて頂き、日々の歩みが豊かなものとされて
きたことを思わされました。
そして、父と娘たちが教会に通っていることを長年快く
思っていなかった母ですが、それでも50年近く、クリスマ
スや特別伝道集会など、特別な礼拝だけには出席して
いましたが、父が天に召された翌年の2013年に82才
でバプテスマを受け、その5年後に天に召されました。
『何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた
時がある。』(コヘレトの言葉3章1節、新共同訳)
今年は敗戦から80年。両親とも戦争体験者で、父は満州
からの引揚者で名前も満州雄といいます。母からは、1945
年6月の福岡大空襲で、道に焼夷弾が何十発も落とされる
様子を見て、恐ろしさで体がガタガタ震えて止まらなかった
こと、防空壕に急いで逃げ入った事、学校の廊下に死体が
ずらりと並べられていた事、頼りにしていた兄を特攻隊で亡
くし母親が泣き崩れたこと、3歳の妹を病気で亡くしたこと
等をよく聞かされました。『平和を実現する人々は幸いであ
る。』(マタイ5章9節、新共同訳)先の戦争はなぜ起こった
のかを学び、この先戦争を二度と起こさないために、自分に
できる事に気づかされ行動していけますようにと祈ります。
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