「証し」 T.H
- kogabaptist
- 11月15日
- 読了時間: 3分
私は幼い頃から祖父母の家で、お経を唱えたり、いろ
んな所で手を合わせてお祈りをしていました。しかしある
時「何に祈っているのだろう」と疑問と迷いが生じてきま
した。それでも祈る気持ちは変わらず手を合わせていま
した。聖書を見たこともなかった私が真(まこと)の神を知
るきっかけは友人Kさんの言葉でした。「私はいつ死んで
もいい、この世に未練はないから早く天国に行きたい」
「クリスチャンは信じる神様がいるから安心して天国に行
くの」。私はKさんには信じる神がいてその存在を感じて
いることに衝撃を受けました。私はKさんの信じる神様の
ことを知りたくて教会に行ってみようと思いました。
「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうす
れば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。」
マタイによる福音書7章7節
当時、夫は大問題をかかえており、家庭崩壊しそうで
精神的に追いつめられていた私は必死で御言葉に救い
を求めていました。そんな矢先、東京の大学に通う息子
に悪性腫瘍ができ、すでに肺に転移していました。癌=
死の恐れは神にすがって祈るしかありません。娘と一緒
に祈りながら「母はイエス・キリストを信じて今、すべてを
イエス様に委ねて祈っている」と告白しました。息子は最
善の治療を受けて数ヶ月でほぼ完治し大学に復学しま
した。その間 牧師やまだ名前も存じあげない教会の方
から励ましと祈りのメッセージを頂き、後にそれが「とりな
しの祈り」と知りました。遠く離れていても名前も顔も知
らなくてもイエス様を通して繋がり支え合うキリスト者の
祈りに胸を打たれました。福岡に戻り主日礼拝、聖書の
学びを通して奥深い御言葉に導かれイエス・キリストの
十字架の復活を信じてバプテスマを受けました。
しかし「私は救われた」と傲慢になっていました。あの
大問題は夫に自己責任を負わせ、解決したら許す気持
ちになりましたが、それは単に私や子供達に被害が及ば
なかったからです。夫は最後まで負い目を持ち続けてい
ました。4年前、夫はALSという体が動かせなくなる難病
で余命数年と告知されました。私は精一杯できるかぎり
のお世話をしましたが、私はあの大問題の時の心の壁は
残ったままで夫の心に心(しん)から寄り添えなかったの
です。
夫はどれほど辛かったか、孤独だったか…。私は取り返し
のつかない大罪を犯しました。イエスは「人の過ちを赦しな
さい。敵を愛し自分を迫害する者の為に祈りなさい」と言い
ます。赦し赦されて尚、愛し愛されてこそ平穏をもたらします。
「わたしたちはこの御子においてその血によって贖われ、罪
を赦されました。これは神の豊かな恵みによるものです。」エ
フェソの信徒への手紙1章7節


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