「聖書に聞くバプテスト」 泉清隆
- kogabaptist
- 10月25日
- 読了時間: 3分
「いま、バプテストを生きる…バプテストの教会形成の
課題を共に考える」から教えられた事を書き記します。最
初、英国の教会は教会と国家が一体化して、人は生まれ
ると幼児洗礼を受けて教会に登録されるものでした。し
かしバプテストは自覚的信仰者の集まりを主張し、それ
は社会秩序を乱す者として、国外追放の迫害を受けまし
た。それはラテン語の聖書だけだったのが英訳されて、み
んなが聖書を読むことができて、初代教会の姿にならっ
て教会を立てあげようとしたからです。聖書教育10月号
にも片山寛さんが「バプテスト教会の根源は聖書にあり
ます」と書いております。その中で「信仰者のバプテス
マ」他、根拠は聖書から導き出されたものでした。
自覚的信仰告白ということで、個人の主体性と自由に
基づく信仰を主張したのですが、一方、現実に教会を形
作っていこうとした時に直面したのが、教会員の子ども
たちをどのように扱うかと言うことでした。幼児洗礼を授
ける教会は原罪を赦すための恵みの手段としてサクラメ
ントsacrament(秘蹟)を考えています。バプテストはバ
プテスマ(洗礼)を救いの保証とは考えていません。ここ
で疑問が起こります。「バプテスマを受けていないと神の
国に入れない」と考えるとこのことはどう理解すれば良
いでしょうか。「バプテストは自覚的信仰を大切にします
が、人間の告白に先行して、イエス・キリストの十字架に
おいて神の購いの恵みは決定的に示されたゆえに、その
恵みに応えてキリストの弟子となっていくことに重点を置
きます。」と書かれてありました。更に1678年の正統信
条の44条には「信仰ある両親、あるいは不信仰の親か
ら生まれた者でも、神の恵みと救済者なるキリストのいさ
おしと、聖霊の働きによって救われ、それゆえに見えざる
教会の会員とされ、永遠の生命にあずかると、わたした
ちは信じる」参照聖句としてマタイによる福音書19章13
~14節があげられています。
また、「信仰のみ」の徹底について書かれてありまし
た。プロテスタント教会は礼典としてバプテスマと主の晩
餐の二つを新約聖書のキリストに由来するものとして残
しましたが、バプテストはバプテスマも主の晩餐式もサク
ラメントsacrament(秘蹟)ではなくオーディナンスordin
ance(キリスが命じられた、制定された)と聖書から考え
ます。
そのことによって神の何かしらの実態がある恵みが与えられ
ものではないと理解します。実体はイエス・キリストご自身で
す。具体的に言えばその二つの礼典の司式者でも無く、与
る者でもありません。イエス・キリストご自身が恵みそのもの
なのです。
具体的な課題、問題に出会う時、その都度、聖書に聞く事
が私たちバプテストの歩みなのだと思います。


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