「助けて」 泉清隆
1月8日の朝日新聞「天声人語」に「ああ、困ったな
あ、と思ったとき、あなたは『助けて』と誰かに言えるだろ
うか。一人ではもう、どうしようもない、と感じたとき、『手
伝って』と声に出せるだろうか。そんな何かを頼む力を表
す『受援力』という言葉がある。『私も、弱みを見せるこ
と、弱音をはくというのは、すごく勇気のいることでした』。
医師で、神奈川県の県立保健福祉大教授、吉田穂波さ
ん(51)は話す。『プライドとか、自尊心とか、誰でもありま
すよね』」とありました。
私がこの「受援力」という言葉を知ったきっかけは、高
知伊勢崎教会の元牧師だった平林稔さんがご自身の事
を取り上げておられたFACE BOOKです。平林さんに、
私が宣教に引用したいと許可を求めたところ、ご自身の
説教を送ってくださいました。「『助けて』と言えない社会
にあって…自分の力だけでは生きていけないことに気づ
き、父なる神さまと主イエスに助けてもらいながら生きて
いくことこそがクリスチャンの信仰の本質だと思うからで
す。クリスチャンの信仰とは、『お助け下さい』とイエスさ
まにすがりながら生きていくことにあると、私は示されて
います。…聖書マタイによる福音書14章22節~32節
で、ペトロが、『来なさい』というイエスさまの言葉で水の
上を歩き進んでいましたが、途中で風を見て怖くなり、沈
みかけた時、イエスさまに助けられました。溺れそうになっ
たその瞬間『主よ、お助け下さい』と叫び求めたのです。
そのことこそが、クリスチャンの信仰のあり方なのではな
いでしょうか」と結ばれています。
イエス・キリストなしには生きていくことはできないこと
を私たちは人生で教えられていくのではないかと思いま
した。あのユダヤ民族が荒れ野を40年もかけて、「人は
パンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべ
ての言葉によって生きるものであるということを」学ぶた
めであったように。
また、マタイによる福音書8章25節「弟子たちは近寄
って起こし、『主よ、助けてください。このままでは死んで
しまいます』と言った。」15章25節「しかし、女は来て、イ
エスの前にひれ伏し、『主よ、私をお助けください』と言っ
た。」マルコによる福音書9章24節「その子の父親はす
ぐに叫んだ。『信じます。信仰のない私をお助けくださ
い。』」
教会はイエス・キリストにしか助けを求めることができ
ない人たちが集っているところだと思います。
「あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたが
たに必要であることをご存じである。まず神の国と神の
義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添え
て与えられる。」マタイによる福音書6章32節~34節
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