「イエス・キリストの受難」 泉清隆
- kogabaptist
- 4月5日
- 読了時間: 2分
なぜ、イエス・キリストは十字架につけられたの
でしょうか。マルコによる福音書2章では5節に「イ
エスは彼らの信仰を見て、その病人に、『子よ、あ
なたの罪は赦された』と言われた。ところが、そこ
に律法学者が数人座っていて、心の中で考えた。『こ
の人は、なぜあんなことを言うのか。神を冒瀆して
いる。罪を赦すことができるのは、神おひとりだ。』」
神を冒涜しているという理由です。18節には「断
食を守らない」24節「安息日にしてはならないこ
とをしている」3章では「安息日に医療行為をした」
7章ではイエスの弟子たちが律法的な意味で手を洗
わなかった」10章では律法解釈の対立がありまし
た。11章では「神殿境内での両替人らの行為をや
めさせました」いよいよ、祭司長たちや、律法学者
たちはイエスをどのようして殺害するか謀ったので
す。そして、神殿境内の事件について何の権威でこ
のようなことをするのかという問答がありました。
14章では「過越祭と除酵祭の二日前になった。祭
司長たちや律法学者たちは、どのようにイエスをだ
まして捕らえ、殺そうかと謀っていた。彼らは、『祭
りの間はやめておこう。民衆が騒ぎ出すといけない』
と話していた。」どのようにしてイエスをだますの
か、結果的にはイスカリオテのユダが祭司長たちや
律法学者たちにだまされてしまいました。最終的に、
ユダヤ議会では、祭司長の「お前はほむべき方の子、
メシアなのか」の問いに対してイエスは「私がそれ
である」と応えられて冒涜罪成立となりました。
15章ではローマ帝国のピラトはイエスが「ユダヤ
人の王」とされて、ローマ帝国内の反乱罪、政治犯
となりました。しかし、異邦人側であるピラトから
は、「この男には何の罪も見つからない」(ルカによ
る福音書23章4節)と証言されています。犯罪者で
はない者が最も残酷な方法で処刑されたのがイエス
・キリストの十字架です。
西南学院大学神学部の才藤千津子さんが「お互いを
価値ある存在として尊重し合うには、自分の傷つきや
すさや、失敗を隠さず、正直に現すことが必要だ」と
いうこと、「『傷つきやすさと弱さの中でこそ、他者と
深く出会うのです。』というヘンリー・ナウエンの言葉
を紹介し、その事の極みの象徴がイエスの十字架では
ないでしょうか。ハラスメントの最たるものはイエス
の十字架です」と話されました。
コメント