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遅すぎることはない (ルカによる福音書 1章67~80節)

  • 2015年12月11日
  • 読了時間: 2分

天使ガブリエルの御告げ、「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」(ルカ1:13)に、ザカリアは「わたしは老人ですし、妻も年をとっています」と答えます。「年をとっています」とは完了形で「年をとってしまっている」の意です。子を産む年齢ではない、と言うごく常識的な応答です。しかし、天使ガブリエルは、「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」(同1:20)と彼の不信仰に対する裁きを宣言します。そして、その後、天使の告知通りにエリサベトは子を宿し、イエスさまを指し示すことになるバプテスマのヨハネが誕生するのですが、それまでの10ヶ月の間、彼は語ることを止められたのです。

この強いられた沈黙の日々、ザカリアの心の道のりを思うと、神の取り扱いの不思議さに気付かされます。天使の御告げを信じることが出来なかった自分の不甲斐なさに打ちひしがれながらも、ただひたすらに「時が来れば実現する」との約束に希望をかけて過ごしていたことでしょう。そして、遂にその時が訪れます。我が子への命名の日、彼の口は開かれます。その第一声こそ、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。」(同1:68)との賛美でした。神は彼を長い沈黙に閉ざした後に、一気に喜びの賛歌へと導かれたのです。その内容は、老齢の身に子が与えられた喜びと言うよりも、その子が指し示そうとしている「救い主の誕生」を喜び伝える賛美でした。最早、「年を取り過ぎている」との自己理解は霧散し、あらゆる否定的な状況にも左右されない神の手にある現実を知らされていたのです。

その根底にあるのが「神の憐れみの心」(同1:78)です。何としても救い出さずにはいられない、との神の愛、神の断腸の思いが歴史を支配しているとのメッセージです。この「憐れみ」の前に「遅すぎること」など一つもありません。クリスマスの出来事は、「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(同1:79)からなのです。絶望の只中にも光は輝いているのです。それ故、私たちは希望に生きるのです。

                                                   TK生

 
 
 

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