終末の希望に生きる (ヨハネの黙示録 22章12~21節)
- 2017年3月2日
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2016年度は毎月初めの主日礼拝で、「日本バプテスト連盟信仰宣言」(1979年連盟年次総会)からテーマを抽出して宣教として取り次ぎました。
本日は宣言最後の文章に、「主イエス・キリストはすべてのものを新たにするために、再び来たりたもう。終末の主によって信じるものは新しい霊のからだを与えられ、救いの完成にあずかり、この世の不信はさばかれる。
それ故に主イエス・キリストは私たちの希望であり、日々の信仰の業を失望に終わらせたもうことはない。」とあり、礼拝の宣教テキストを聖書最後のヨハネ黙示録、その最終章から選びました。
ヨハネ黙示録は初代教会がローマ帝国による激しい迫害と弾圧の中、その厳しさに耐えるキリスト者に向けて書き記された希望の書簡です。
その文言は難解な部分が多く、平和時には「謎解きめいた興味」さえ起こさせるものですが、殉教の死を目前に置かれた信仰者にとって、大きな慰めと励まし、来るべき救いの完成に向かう希望の書であったのです。
聖書は創世記から黙示録に至るまで、人間の罪による混乱と、神の憐みによる救いを語る書物です。
神はイエス・キリストにおいて神の国の到来を現わし、十字架と復活において罪人の救いを打ち立てられました。しかしなお、私たちはその救いの途上にあり、完成を将来に約束されている、と言うのが聖書の語る「福音」です。
この様な苦難と困窮の中でもだえ苦しむキリスト者をニヒリズム(虚無主義)に陥らせることなく、最後の最後まで、「大丈夫、必ず救いはある」と言い続けるのが黙示録なのです。
歴史の始まりがそうであったように、歴史の終わりも神の御手の中にあります。
「初めであり、終わりである」お方から、「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。」(黙示22:14)と語りかけられる信仰者は何と幸いなことでしょう。
厳しい時代状況の中にあっても、「主よ、来てください(マナラ・タ)」と呼びかける時、「然り、わたしはすぐに来る。」(同22:20)と呼応して下さる方があるのです。実に、救いの完成はすぐそこまで来ているのです。
TK生


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