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「全世界に行って…」 マルコによる福音書 16章14~18節

マルコ福音書16章は、復活の朝の出来事から始まって、イエスが天に帰られるまでのいきさつが記されています。マルコによれば、復活のイエスはまずマグダラのマリアにご自分をお示しになります。彼女はイエスにお会いしたあと、その死を嘆き悲しんでいた人たちに復活の事実を伝えます。ところが彼らは彼女の証言を信じませんでした。14節には「イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」と記されています。復活のイエスに会ったら信じるけれども、会ったという人の言葉は信じない・・・。この言葉を15節の「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」というイエスの言葉と考え合わせると、福音とは何かが理解できるのです。つまり、イエスの姿を私たちは見ることは出来ない。けれども、復活されたイエスが今も生きて私たちと共にいて下さる。そのうれしい知らせを告げ知らせよ、と言われているのです。

ところで、私たちはイエスのご命令がなくても福音は「宣べ伝えずにはおられない」ものだと思っています。ところが、あの人にもこの人にも伝えたいと思いながら、どこか尻込みしてしまう弱さを持っています。けれども、イエスは福音宣教の働きを、今しがたその不信仰をお責めになった弟子たちに託して行かれたのです。私たちはこの国にあってキリストを証しする難しさを肌身に感じて生活しています。けれども、それとは別に「なるべく波風立てずに過ごしたい」とか「変わり者扱いされたくない」という思いがあるものです。そのような中で、ともすれば信仰は教会の中だけのこと、と考えたりします。しかし、そのような私たちにイエスは「私はあなたの弱さを知っている。けれども、その弱さや困難をも担って共に生きるためによみがえらされた私のことを伝えて欲しい」と言われるのです。この「全世界に行って・・・」というご命令は、疑いや迷いの中に陥りやすい私たちに対する慰めと励ましのメッセージであることを、この朝あらためて受け止めましょう。

内田章二 協力牧師

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