主を待ち望むアドベント 「コリントの信徒への手紙二 5:16~21」
キリスト教信仰は自分だけがこの世の迷いやしがらみから解放されて悟りを開くこと、いわゆる「解脱」の境地に至ることを意味しません。むしろ、混迷するこの世に身を置いて、そこに共にある人々や他の被造物と、迷いやうめきを共有し、互いの関係を良いものに作り変えていくことにあると言えましょう。この関係修復の働きを聖書は和解と言い表し、和解によってもたらされる状態を平和(シャローム)と表します。実に聖書全巻は、神との平和、全被造物との和解を語っているのです。
ところで、お互いに混迷しているもの同志が、自力で和解や平和を作り出すことは不可能です。しかし、感謝すべきことに、それが神によってもたらされていると言うのです。使徒パウロは「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」(Ⅱコリント5:18)と記し、あらゆる関係修復が神から始まっていること、即ち、イエス・キリストにおいて現わされたことを伝えています。
今日から待降節(アドベント)が始まります。教会は2000年にわたってイエス・キリストの誕生を覚え続けています。何故なら、私たちは、今のこの時代にあっても、キリストにおいて実現した和解の出来事を「福音」としてすべての人々にお届けする使命を神からいただいているからです。
この時、わたしたちは神からの一方的な愛を受けていること、即ち、滅びるほかはないこの身を十字架の死を通して贖い、新しいいのち、永遠の命へと結ばれたことを、しっかりと確認し、キリストを知るこの大いなる恵みを喜び、大胆に神への感謝を表わそうではありませんか。そして、この世の苦しみ悲しみに連帯し、神の正義と公平がなるように、キリストの愛を、あの人この人にお届けしようではありませんか。
主を待ち望むアドベントの日々、一人ひとりに与えられている「和解のために奉仕する任務」を受け取り、その働きを進めて参りましょう。真に神の愛は私たちの歩みのただ中で広がって行くのですから。
TK生