「終わりなき希望に生きる」 (ヨハネによる福音書 1章1~5,9節)
ヨハネ福音書はその冒頭で「初めに言(ことば)があった」-1:1-と言ってイエス・キリストを紹介しています。この「初めに」という言葉に注目しましょう。私たちはなにげなく、すべての事柄にははじめがあり、終わりがあると考えています。けれども、ヨハネが「初めに言があった」と言うとき、そこには「いつから」という概念とは違うメッセージが隠されています。つまり、私たちが知りうる歴史が始まる以前、もっと正確に言うなら「そもそも永遠の昔から神はおられた」ということなのです。いつか、誰かが作ったのではない「永遠の存在」としての神であり、キリストが語られているのです。これは私たちにとって大きな希望です。永遠の昔からおられて、永遠に変わることのない神に私たちはすべてを委ねて生きています。その永遠の中を歩んでおられるイエスが私たちにも「永遠のいのちの中に生きる」道を備えていてくださるのです。同じヨハネ福音書5章24節(p.172)でイエスは言われます、「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」。
幼いころ、毎年クリスマスの時期になると、「来年もこの日を迎えることができるだろうか・・・」と、不安な思いに駆られることがありました。あまり小さい子どもが考えそうにもないことですが、からだの弱かった私にとって、「いつまで生きられるのだろうか、人は死んだらどうなるのだろうか」という問いは真剣でした。けれども、キリストに出会ったときに、そのような心配は無用であることに気付かされました。なぜなら、キリスト者の人生は「地上での限られた日々がすべてではない」という希望が聖書に語られていることを知ったからです。
アドベントは、希望のささやきが次第に現実(イエスの降誕)に近づいていく喜ばしいときです。イエスがこの世に携えてきてくださって希望が私たちのうちで成就するときを望み見ながら歩み続けてまいりましょう。
内田章二 協力牧師