祝福の継承責任 (創世記13章8~18節) 金子敬
- kogabaptist
- 2016年7月16日
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土地は誰のものでしょうか?親から受け継いたから私の財産でしょうか?固定資産税を納めますから国家のものでしょうか?土地を巡っては遺産相続から領有権の主張まで古今東西、争いが絶えません。
しかし、聖書には天地万物は神の被造物であると記されています。従って、この大地もそこにある全ての被造物が自らの存在を喜びながら他の被造物との豊かな関係性を保って生きて行く共生の場であると言えるのです。しかも、今存在している私たちの世代での共生ばかりではなく、未来に生きるすべての生命あるものとの共生の場でもあると考えたいのです。
聖書における信仰の物語は、アブラムに始まります(創世記12章)。彼は甥のロトと共に神の指し示す土地に歩み出すのですが、途中、羊の数が増えて群れを養うことが困難になると、ロトに行く先を自由に選択させました。その結果、ロトは肥沃な低地へと進み、アブラムは不毛な高地に留まります。やがてロトはこの世の富と共に身を滅ぼし、アブラムは厳しい荒野で神からの祝福に与るのです。アブラム(高貴な父)はアブラハム(多くの国民の父)と呼ばれるようになり(同17:5)、子孫への祝福をも神から約束されたのです。この祝福のキーワードが、「見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」(同13:15)であり、この約束の言葉はこの後15:18、17:8にも繰り返し確認されています。
土地は誰のものか?神のものであり、また、子孫のものである!ここに、被造物保全を人間に託した神の思いがあり、これに応える私たちの責任があるのではないでしょうか。今さえ良ければ何をしても良い、との考えは「貪欲」の行き着くところです。神からそして子孫から奪い取り、今の時代で使い果たしてしまう。この恐るべき過ちが、資源の枯渇を招来するのです。更に、今や、負の資源、処分不可能な原発放射性廃棄物を造り続け、何万年もの間に亘り大地を汚染し続けるという愚に手を染めたのです。
今こそ、「貪欲は偶像礼拝にほかならない」(コロサイ3:5)との聖言に傾聴し、子孫への祝福の継承責任を果たすことが求められるのです。
TK生
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