「幸い」 (マタイによる福音書5章3~12節)
- 足立和子
- 2017年1月7日
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今日の聖書箇所はイエス様の最初の説教5章から7章までの冒頭の部分です。
主はガリラヤの小高い山を登り始められました。お弟子さんたちが一緒です。そしてたくさんの人々が苦しみや悩み病いを背負いそのあとを登ります。
イエス様は山上に着き岩に腰を下ろされました。青く澄んだ空、白い雲、花の香り、眼下には美しく水をたたえるガリラヤ湖。
そして主は教えてくださいました。「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」。
聖書ギリシャ語にはその貧しいという言葉に「プトーコス」が使われています。
「ペネース」ですと日々の生活に追われているほどの貧しさですが、「プトーコス」は本当に何もなく餓死しそうな、窮乏、そのことに声をあげることもできず踏みつけられ、痛めつけられた辛さ貧しさです。
その極限まで踏みつけられ自暴自棄になりそうな心に主は語りかけられます。「柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」。
富や権力を求め、差別や選別を繰り返そうとする世の支配ではなく、神様の御支配される国、神様はあなたを愛し、大切な存在であるからこそ、天の国はあなたたちのものであると宣言されます。
貴方たち小さくされた人々、例えば大震災後6度目の冬を今なお仮設住宅で暮らす方たち、原発事故から避難するための住宅手当も打ち切られようとしている方たち、ヘリパット建設のために切り倒されていく沖縄やんばるの豊かな森、そして様々な苦しさや悲しみを抱えた私たちに「神様は共にいます、主と共に生きましょう、幸いあれ。」、と主は励まし御手を差し伸べ抱いてくださいます。
私たちは今どこに立っているのでしょうか。私たちは主の御愛を喜び、心の目を開き、心の耳を澄ませ、イエス様の御言葉を行い光の中に生きる者でありたいと願います。
足立和子(本年2月より飯能バプテスト教会牧師)
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