「走り抜く信仰」 (フィリピの信徒への手紙3章12~21節)
- 伊藤真嗣
- 2017年1月27日
- 読了時間: 2分
現代では目標を持って生きることはなかなか難しいものです。夢や希望を持っても必ずしも叶うことは少ないですし、日本の経済状況を考えても、若者は将来に希望を持てないことが多いように感じます。
しかし、フィリピの教会の人たちに送った手紙の中で、パウロは「目標を持ちなさい」、そしてその目標とは「天国」だと言っています。
口語訳では「神の国」と訳されますが、もちろんこの言葉は、フィリピの人たちばかりでなく、主イエスを信じるわたしたち一人一人に語られているものであるわけです。
では天の国とはどのような場所か。それはキリストとの一体感を得て復活の力を与えられる所なのです。21節の後半、「わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」つまり、私たちの思いが実現する場所なのではなく、主によって希望ある形に変えて頂くそのような場所なのです。
「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(14)
「走る」(ディオーコー)とはギリシア語で「後を追う、追いかける、追い求める」という意味があります。
神の国の「義」を求めてパウロは走り抜きました。私たち信仰者も追いかけて全力をつくし、知恵を働かせる必要があります。
そうすることで、わたしたちのこの体が、キリストの復活の体と同じ体に変えられる、そのことを目標に、それに向ってひたすら走り抜くことでわたしたちは天という国籍の民になることができる、神という国の民、神さまに属する者となることができるのです。
現代は試練や誘惑が多くとても生き辛い社会です。それでも私たちは過去を見つめるのではなく、未来に意味を見出していく必要があります。
だからこそ体験をイメージし、心にしっかりと納め、待っている方を仰ぎ見つつ、国籍のある天に向い、その「方向性」を目指して走り続ける者となりましょう。
そしてその導いてくださる神さまを信じて、天の国というゴールを目指して、共に走り続けたいと思います。
西南学院大学神学部4年 伊藤 真嗣
(古賀バプテスト教会研修神学生)
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