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神の存在証明

11世紀の神学者カンタベリーのアンセルムスに より考え出された神の存在証明。そのあまりに簡潔 な証明法もあってか、錚々たる人々がこれについて 論じ、今日に至るまで人を引き付けて止まない。 神の定義:それよりも大きいものが考えられない もの。 【証明】 1 神は現実には存在しないと仮定する。それでも 人は神を考えることができるので、神は人の頭の中 には存在するが、現実には存在しないことになる。 2 頭の中だけに存在するものよりも、頭の中以外 に現実に存在するものの方が大きい。 3 したがって、1の仮定は神の定義と矛盾する。 4 ゆえに神は存在する。 デカルトはこの証明を肯定したが、カントは、あ る対象が現実的に存在するかどうかは概念だけで決 定することはできず、何らかの経験的直観が必要だ とデカルトを批判した。 しかし彼は、デカルトを批判したその筆で「すべ ての可能的な存在者のうちの最高の存在として思い 描くこの存在者が『我は永遠より永遠に存在するも の。我の他に我が意志によらずに存在するものは何 もない。しかし我が身は何処より来たりしか』と独 語するとしよう。人はそのような思考を拒むことも できないが、耐えることもできない」と書き記して もいる。 神の存在を証明しようなどということは人間の分 際を超えたものだと喝破したカントですら神は何処 から来たのかと呟かざるをえないほど、神の有無に 関する問いには人の心を捉えて離さない磁力があ る。ましてや、ヒトゲノムを解読し形而上学と見紛 うような多宇宙論にまで至った驚くべき科学が支配 するこの世界の片隅で、神の声を直接聞いたことが ないと思いながら日常に埋もれて過ごしている平凡 な信者が「あなたは何処にいるのか」と問うたとし ても、神は「信仰の薄い者よ」と苦笑して聞き流し てくれるに相違ない。 カントは神を「深淵」と呼んだ。神の存在を問う ということは、底知れぬ深淵の中に何かがあると伝 え聞いて、おそるおそる深淵の崖縁から中を覗き込 み、その漆黒の闇に向けてそっと「いますよね」と 囁くようなものなのだろう。たとえ自分の声だけが 漆黒の闇の中で空しくこだましようとも、何故か私 はその深淵に魅せられ、そこから容易に立ち去るこ とはできないのだ。

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