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転入会の証し

私の「Y」という名前は、讃美歌の『慈しみ深 き』からきています。人や自然を慈しむ優しい人に 育ってほしいという願いが込められていると幼い頃 聞きました。果たしてそのように育ったかは自分で は何とも言えませんが、感謝なことに周りの人たち に慈しまれ、恵まれて育ってきたことは確かです。 そしてそのように私を育んでくれた環境の一つ に、教会と、信仰によって繋がる神の家族の存在が あると思っています。学生の頃には教会生活から離 れた時期もありましたが、教会に行けば、一緒に賛 美したり祈ってくれる方々がいる。相談したり、い ろいろなことを教えてくださる“教会のお父さん・ お母さんたち”がいる。もちろん、“教会のお兄さ ん・お姉さん”や“教会の弟・妹、娘息子たち”も 然りで、神の家族という通り、私にとって教会は「も う一つの家」のような存在です。 特に中学に上がる歳から長い間お世話になった三 鷹バプテスト教会では、たくさんの良い交わり、信 仰の友が与えられ、バプテスマも授けて頂きました。 また奏楽者や執事として育てて頂く中で、奉仕者と してのたくさんの学びと訓練も与えられました。 島根での在職5年間は学校内での主日礼拝に与 り、休暇の際には広島教会での交わりにも何度か加 えて頂きました。回数としては多くはありませんが、 この広島教会の皆さんとの温かい交わりと播磨先生 との出会いは、島根での信仰生活をとても豊かにし、 また私を支えてくれました。 愛真を離れた後、東京に戻ることも考えていたた め教会籍は三鷹に置いたままでしたが、しばしの休 息と思って身を寄せたこの福岡の地で古賀教会に導 かれ、交わりに加えて頂きあっという間に2年が経 ちました。正式な教会員でない頃から様々なことで 用いて頂き、その瞬発力に感謝と驚きの2年間でし たが、この度改めて転入会の希望を証しする機会を 頂きました。

私にとって教会はもう一つの家、その交わりは神の家 族だと言いましたが、「家族」というのは不完全な人間 の集まりであり、愛おしいとも時に難しいとも感じま す。帰れる場所があってよかったとも思うし、煩わし いからといって簡単に投げ出すこともできません。で も不完全だからこそ共に成長していけるし、支え合え るし、どんな時も神さまがそばにいてくださること、 その神さまにすがれることを思い出させてくれます。 これからは古賀教会の交わりの中で、自分にどんな働 きができるか、何が神さまに喜んでいただけるかを問 いつつ、信仰の歩みを共にさせて頂けたらと願います。

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