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「復活の主と共に」 22日の家庭祈祷会での分かち合いから

①復活のキリストが弟子たちとともに食事をすると いうこと、聖書には多くの食事の場面が出てきます。 生きる上で最も必要でありあたりまえの営みに、と もにいて交わってくださるキリストの愛について 椎名麟三の信仰を思い起こします。(父より)以下、 引用(引用ではルカ伝になっていますが、ヨハネ伝 でも同様の記事のところです) 「私はドストエフスキイを信頼して洗礼を受けた。 だが、神やイエス・キリストが信じられていたわけ ではない。受洗して一年もたって、ある日、ルカ伝 の復活のくだりを読んでいたとき、突然ショックと ともに、必然性の壁が音を立てて崩れ落ちて行くの を見た。つまり本当の自由を見たのだ。と言って、 そこには大したことが書かれているわけではない。」 と言って、このルカの復活の記事を引用するのであ ります。そしてこういいます。「これだけのことだ。 しかしショックはこれだけのことの間に私を襲った のだ。それまでの世の中がちがった光で見え、わた しの生き方を変えてしまったのだ。私は生きている イエスをみていたからだ。しかしそのイエスは絶対 に死んでいるはずのイエスである。しかも弟子のだ れもそのイエスを信じることができない。むろん私 もだ。だが、イエスは自分を信じない者のためにど んな奇跡をあらわされたか。とんでもない、くだら なくも焼き魚の一切れをムシャムシャ食ってみせら れているだけである。そのイエスの愛が私の胸をつ いた。同時に死んで生きているイエスの二重性は、 私が絶対と考えていたこの世のあらゆる必然性を一 瞬のうちにうち砕いてしまったのである」 「死んで生きているイエスの二重性」というキーワ ードに復活のキリストが端的に表れていると思いま す。

②漁師、シモン・ペテロへのイエスの呼びかけにつ いて 福音書のヨハネ以外にはイエス様が最初に弟子と して漁師のペテロを選ばれた件があります。「人間 を取る漁師になりなさい」とイエス様は言われまし た。 そしてヨハネによる福音書では、復活後に顕 れて、「私の羊を飼いなさい」と言われました。何も知らなかった大海の魚ではなく、キリストの十字 架により無条件に救われた人間を、迷わず導く使命を 与えられたということ、イエス様と同じ良き羊飼いと しての使命を示されたということは、その最期もキリ ストに殉ずることを意味しているということなのです。 復活のキリストに出会い、キリストに従う決意を持っ たペテロですが、キリストの十字架ののち、再び漁師 に戻り所在無く海に網を投げ入れる姿は、日々の生活 に翻弄される私たちと少しも変わらない人間の、滑稽 な姿であり、親しみを感じます。いまは、日々言いよ うのない不安や、焦り、憤りなどを感じる日々ですが、 日々の食卓にキリストがともにいて、むしゃむしゃと 魚を食べておられることを思い、心の栄養を豊かにす る時であると思いました。

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