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<8月8日と原子爆弾と平和の砦>(2020.08.02)

1945(昭和20)年8月6日に広島に「新型爆 弾」が落されたらしいと各地に伝わりました。八幡 製鉄所で作られた鉄は兵器資材に、隣の小倉市には 兵器工場の陸軍造兵廠が現在の勝山公園で稼働して いました。そこに動員された方々は女学校、旧制中 学校の生徒たちは国の命令で兵器を作らされていま した。連合国軍はこの造兵廠に2番目の「新型爆弾」 といわれた原子爆弾を落とすことにしていました。 ★8月6日のヒロシマと8月9日のナガサキの間の 8月8日に米軍のB29爆撃機から焼夷弾と重油が まかれました。2,500人の方々が亡くなり、5万人 が焼け出されました。その八幡大空襲による尊い『い のち』の犠牲で今の私たちの『いのち』があります。 生かされています。9日、小倉に兵器を製造する大 きな工場が2発目の原子爆弾の標的でした。前日の 8日の八幡大空襲後の煙幕と天候不順で、米軍は小 倉の兵器工場を見定めることが出来ませんでした。 米軍機はナガサキの造船工場に目標を変更してナガ サキに原子爆弾を投下しました。その7万余人の『い のち』の犠牲の上に、わたしたちの『いのち』が繋 がっています。★長崎に11時2分、プルトニウム 239の原子爆弾が投下され7万4千人のいのちが 一瞬にして奪われました。3回目の八幡大空襲は連 合国軍にとっては降伏を受諾させる重要事項でし た。1945年7月26日、連合国軍側から発表さ れたポツダム宣言を鈴木貫太郎内閣が黙殺しなかっ たならば原子爆弾の投下もなく、8月8日、8月9 日の犠牲は免れることができたかもしれません。★ 8月9日、小倉にプルトニウム型の原子爆弾が投下 されていれば、北九州の住民の大半は現在も放射能 汚染の後遺症に悩まされて生きていたことでしょ う。政府は8月14日午後11時の御前会議でポツ ダム宣言受諾する無条件降伏を決定し、8月15日 敗戦を迎えました。310万人の尊い戦争犠牲者によ って終止符が打たれました。★「戦争は人の心の中 で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦 を築かなければならない。( ユ ネ ス コ 憲 章 前 文)」戦 争は人間が起こしたのならば、私たちは人間の英知 で集団的人殺しは封印することができます。

★戦(いくさ)は、遠い存在ではありません。家族問題、 近隣関係、学校生活、セクハラ、パワハラ、介護生活、 独居生活、難病生活そして失業、倒産と不安を抱えて 日々を送っている方がおられます。「現代社会は科学技 術の発展とともに自然を服従させ、経済的繁栄を生み 出すことばかり望み信じるようになった。コロナ禍は グローバルな経済至上主義が限界を露呈した一例にす ぎ」( ピ ー タ・マ ク ミ ラ ン / 朝 日 新 聞2020年7月22日)ま せん。★人間が人間と自然に関わり寄り添い、人間を 人間が殺すことも殺されることもないこの『いのち』 を大事にして隣人を慮っていきたいものです。

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