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「聖書の翻訳」

聖書の言語は新約聖書はギリシア語で書かれてい る。開国後1859年に来日したヘボン博士、ブラウン 博士などの宣教師たちによって個人訳が出され1880 年に各派の宣教師の協働で新約聖書が完成した。★ 文語訳(1887年)、口語訳(1955年)、「新改訳」(1970 年)、フランシスコ会訳(1979年)を経てカトリック 教会とプロテスタント諸教会の協力で1978年「新約 聖書・共同訳」が完成し9年後には「新共同訳」(1 987年)聖書が発行されている。★礼拝で使用を目的 として2018年に「聖書協会共同訳」が翻訳された。 また個人訳、部分訳、委員会訳などの各翻訳は理解 しやすさ気品を備えて翻訳されてきた。委員会訳の 代表は岩波訳(2003年)だ。★個人訳では山浦玄嗣医 師による福音書翻訳「ガリラヤのイェシュー」(201 1年)は興味深い試みを越えて読者の腹の底に響く言 葉を溢れださせる。津軽から薩摩の各地の方言で語 る(訳す)人々の登場でイエス物語がストンとはらわ たに染み渡る。ファリサイ派は武家言葉、ガリラヤ 衆はケセン(気仙)弁・仙台弁、盛岡弁、商人は大阪 弁、ギリシア人は長崎弁と多彩な方言が入り交じる。 ★<22節>すると、ご覧あれ、その辺りに住むカナ ン女が出て来て、こんなことを言いながら、叫び続 けた。「もし、旦那さま。ダビデの御子孫さま。後 生ですばい。私(うち)をお助けくださらんやろうか。 私の娘が憑き物(もん)に取り憑かれて、そいはひど う苦しみよるけんで!」(長崎弁)ところが、イェシ ューさまは一言も返事をなさらなかった。[おそら くイェシューさまにはこの女の土地言葉がよく聞き 取れなかったものでござろう。]そこへ弟子たちが 寄って来て、イェシューさまに頼みこんで、言うに は、「この女子を追っ払わっせん!ギャーギャー叫 びながら付いで来ァすからな。」(ケセン弁)<24節 >イェシューさまは、[ムッとなされて、ジロリと 弟子たちを眺め、]この言葉に答えて、こう言いな さった。「神さまがァ俺(おれァどゴォ)をお寄越(よ ご)しなさったのァ、他(ほガ)でもねァ、イスラエ ルの家(いい)に生まれながら、人の道(みぢ)に踏み 迷った、〔お前達〕馬鹿羊みでァな者等(ものァどァ) のためだ。」 すると、あの女がなおもお側に寄っ ㋘ て来て、額を地にすりつけて、願い続けた。

「もし、旦那さま、どげんか私(うち)をお助けくださ らんやうろか!」(長崎)<26節>イェシューさまは[悲 しげなお顔をなさり、女に]答えて、こう言いなさっ た。「子供らの飯を取って、犬畜生めに投げてやるのは うまくないとよ!」ところが女は[キッパリと]言っ た。「そげんことなかですばい、旦那さま。何故(なし て)なら、犬畜生でん旦那さまの飯台からこぼるる飯粒 ぐらいは食(た)ぶるもんですばい。」(長崎弁)<28節> これを聞いたイェシューさまは女に答えて、[嬉しそう に]こう言いなさった。「ああ、母さん、この俺をそん なにも頼りに思ってくれるか!お前さんの願う通りに、 なれ!」その時、娘の病が治されたのでござった。(マ タイ15章23~28)[ ]は原文にはないものを山浦玄嗣 医師が補足として挿入した。下線部は比較のため筆者 が挿入。

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