「5時からの男たち」
最低賃金審議会答申に沿って8月に示された福岡県の最低賃金は現在の時給841円から842円でした。1円×5日×8時間×4週は160円つまり月に160円、年間1920円の賃金アップです。最低賃金は下限の賃金を示すもので使用者によるこれ以下の支払いは法律違反となります。憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」と生存権を明確に定めています。人間が人間として人間らしく生きる権利を謳い「命」の畏怖を感じます。★僕が携わっている学童保育クラブは小学校の敷地内に開所して4年目を迎えています。当時の最低賃金から120円高い時給から出発しました。人間が人間を育てる学童の運営指標は働く人を大事にすることを重視しています。★収入源は北九州市からの委託費と保育料ですが、学童運営委員会は4年目から支援員の時給を4桁に乗せました。7名の支援員にレーダーチャートによる自己評価、行事考察、子ども観察などの課題レポート、研修会参加の推奨、ヒアリング等で力量形成を図り、コロナ危機下では網戸設置、空気清浄機、エアコンの増設で環境整備を行いました。「学校と家庭の間にある止り木」の学童支援員は遊びと生活の専門的力量が問われています。幸いにもその果実は子どもの元気と比例をしています。理念の具現化を目指し見えない働きに感謝の念を抱いています。見える関係づくりの一つは最適の賃金です。★聖書には賃金に関して「ぶどう園の労働者」のたとえが記されています。夜明け、朝9時、午後12時、3時そして5時にそれぞれ労働者たちを雇い6時に支払った賃金は平等に1デナリオンであったお話(マタイ20章)です。現代社会で生活している者にとっては労働時間に応じた日給ではないことに驚き、その意図に関心を抱きます。★「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」。労働者は他者と比較をして不平不満が当然湧き上がりましたが、雇用者(主人)は不当不正ではないと断言します。★労働時間の長短によらない一律の支払い方は不公平ですが労働契約による1デナリオンの約束(合意)を守っていることは確かです。労働者個人に対する不当性は見当たりません。★イエスは人間を一人の生活する人間として捉えています。個人の生活を守る、換言すれば生存権を保障する行為です。すべての生活者に1日の生活費を等しく保障するという社会的平等の意味と同時に失業とは個々人に起因することだろうかと問うのです。★コロナ時代の倒産、廃業、一時休業による失業は当事者(個)の問題ではなく、個と個で繋がっている社会の問題として捉えたいものです。★一方「あなたと同じように」支払うというイエスの労働観はすべての人間を生産性(能率)という一本の軸で計ることはしないことです。明け方から夕暮れに働くすべての人々は私の友であり、約束を守り抜く私を信頼せよと宣言をしています。この雇い主の姿は神の支配を表わしているといえます。