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「哀歌」

  • kogabaptist
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

特徴…哀歌は五つの独立した詩を集めた詩集であ

り、それぞれの章が一つの詩になっている。深い悲しみを

表現しているこれらの詩は共通のテーマを持ち、同じよう

に礼拝で使われている。現代のユダヤ教の会堂ではア

ブの月第9日(7月下旬)に朗読される。それはB.C.586

年とA.D.70年の神殿破壊を思い起こして断食する日で

ある。キリスト教では復活祭直前の1週間(受難週、聖週

間)の礼拝で哀歌の一部を朗読する教会が多い。神の

憐れみによって新たにされるという希望は時代を越えた

ものだが、悲しみと苦しみも同様に時間を越えて表現さ

れるものである。哀歌には深い悲しみと多くの嘆きだけ

でなく、希望と恵みへの信仰も見られる。

なぜ書かれたのか…哀歌の五つの詩はユダヤの歴

史上最大の悲劇を目撃した人の視点で書かれている。

神の特別な町と場所であるエルサレムと神殿が敵によっ

て強奪され、破壊されたのである。哀歌はこの破壊を悲

しみ、また神の民にとってそれが何を意味しているのかを

探ろうとしている。悲劇によって神の目的が明らかになる

ことがある。神は罪のゆえに民を懲らしめたが、完全に

捨て去ったのではなかった。

どんな背景があるのか…弱小国であるユダ王国はB.

C.597年に大帝国バビロニアに反旗を翻したが、あえ

なく失敗に終わる。その後、何年にも及ぶ抑圧が続き、つ

いにB.C.586年に滅ぼされる。列王記下25章に描かれ

ているバビロニア軍による攻撃と破壊は一気に、そして

徹底的に行われた。B.C.598年から586年までユダを

治めたゼデキヤ王はエルサレムとユダの指導者、祭司、

職人と共にバビロニアに捕囚として連行され、貧しい人

々と小作人たちだけが後に残された。

旧約聖書のギリシア語訳である七十人訳聖書は哀歌

を特に「エレミヤの哀歌」と呼ぶ。確かに、哀歌にはエレ

ミヤ書と似た調子や雰囲気があり、また似た用語が使わ

れている。歴代誌はエレミヤが作った哀歌について記し

ているが(代下33.25)、エルサレムの破壊ではなく、ヨ

シヤ王の死を悼んで作られたものである(B.C.609

年)。哀歌のヘブライ語写本のうちで最も古いものには

作者への言及はない。この詩集は一人の人による作で

はないであろう。しかし、バビロニアへ連れ去られた捕囚

民であれ、ユダに残された者であれ、エルサレムの破壊

という悲劇を目撃した者によって書かれたものであるこ

とは疑いない。

哀歌の五つの詩はエルサレムという町そのものが語る

形式か、「預言者」と呼ばれている著者が語る形式のど

ちらかを取っている。1章、2章、4章はエルサレムを失っ

た悲しみを公なものとして表現しているが、3章は個人的

な嘆きであり、感謝と信頼の祈りで終わり、イザヤ書53

章の僕の歌に通ずるところがある。3章は憐れみを乞う

公の祈りである。

(以下省略) スタディバイブルより

 
 
 

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