「どこにいても、いつになっても、誰に対しても」 高田佐紀子
- 2月14日
- 読了時間: 5分
私は古賀教会に2008年3月まで通っておりました。2004年のイースターに
ここで受洗しました。教員として、福岡工大城東高校に勤務しておりました
が、現在は仙台の東北学院中高に奉職しております。本日、5年ぶりに古賀教
会を訪れることになり、証の機会までいただき、大変光栄です。
本日の証タイトルと聖書引用箇所は、スライドにある通りですが、「場所」
という横軸と「時間」という縦軸をもとに、そこに連なる「人」を介して、
キリストの愛の施しについて、ご一緒に共有いただければ幸いです。
私はもともと、宗像市に生まれましたが、佐賀県嬉野町(母の実家)に引っ
越し、そこで育ちました。古賀海岸はお気に入りの場所で、よく散歩に行っ
ていました。
さて、はじめに「どこにいても」という場所(横軸)の観点です。仙台教会
を少しご紹介します。仙台市グッドデザイン賞を受賞した、赤色をモチーフ
にした会堂で、仙台の市街地(地下鉄駅隣接)に位置し、一階には幼稚園があ
ります。現在は宇都宮牧師、前任は泉先生の神学校同級生の小河牧師(福岡
出身)でした。この仙台教会には、古賀教会に大変ゆかりのあるご夫妻、佐
藤哲雄さんと泉さんがいらっしゃいます。哲雄さんは東北学院ご出身ですが、
就職で福岡女学院に奉職されました。その当時の生徒さんに、杉有里さんが
いらっしゃったこと、佐藤さんご夫妻が居住地から少し離れた古賀教会を選
んで通われていたことに、神様のお導きを感じます。
続いて、勤務する東北学院中高の紹介です。長く男子校でしたが4年前に共
学となりました。キリスト教学校に勤務したいという思いで福岡から1500KM
離れた仙台に参りましたが、その現実は厳しい側面もありました。毎朝の全
校礼拝では、私も説教を担当していますが、聖書箇所とリンクさせ、身近な
素材からメッセージ性を持たせることに頭を悩ませています。私立高校です
から、生徒募集の広報活動は柱のひとつです。その取り組みで立ち上げたも
のに「エクレシア」があります。ギリシア語で「神に呼び集められた者の集
まり=教会」を意味します。受験を考えている小中学生と保護者を対象にし
たイベントで、中1~高3までの生徒たちが司会、受付、学校紹介、校内ツ
アーガイドを担当します。私はこのエクレシアの立ち上げから関わり、よう
やく形になって来場者から好評を得ています。このことは、以前、城東高校
勤務時代に携わっていた広報活動が大きなヒントとなっています。「場所」は、
近くにいるかどうかではなく、どこにいても、どこかにいる人や何かを思い、
繋げるエッセンスになるものです。
次に、「いつになっても」という時間(縦軸)の観点です。私の故郷は、佐賀
県嬉野町です。佐賀県は知名度が低い県です。福岡と長崎は人気があります
が、その間にある「通り過ぎる県」なのです。西の端の嬉野町には鉄道もな
く、娯楽施設やお洒落なお店もありませんが、このようなのどかな光景が生
み出す「お茶と温泉」があります。ちなみに我が家を含め、自宅に温泉を引
いている家庭もあります。少し宣伝ですが、祖父母はここで菓子店を営んで
いました。戦争でソ連に出兵した祖父は、帰還して95歳まで菓子作りを続け、
こうして取材を受けたこともあります。シュークリーム、羊羹、丸ぼうろが
メイン商品でした。
本題です。小学生のころ、クリスチャンの友人に誘われて教会学校に行き
ました。当時はこの現会堂とは違いますが、のぞみ幼稚園も併設していまし
た。幼稚園の教室で、聖書の話や讃美歌に親しみ、年齢の違う子供たちと触
れあうことは、楽しむ習い事のような気分でした。そして時を経て、10年ほ
ど前に仙台教会を訪問された泉牧師夫妻と初めてお会いしました。なんと!
美智子さんが嬉野のぞみ幼稚園の保育士として勤務されていたことを知りま
した。私の同級生(卒園生)をご存知で、驚きました。
子どものころは、退屈な田舎で「何もない町」だと思っていましたが、今では
変わらない光景をもつ「失いたくない町」です。「時」は、いつになっても、忘れ
ていても、神様がその時にかなって思い起こしてくださる。
最後に、「誰に対しても」という、人をつなぐ観点です。皆様もご存知の通り、
毎朝7時に泉先生から届く「祈りの和」。聖書の御言葉とワンポイント解説、そし
て、古賀教会員と各地のバプテスト教会の名を挙げ、それぞれの祈りや教会の近
況報告など、実に細かく情報を共有してくださいます。このようなことを牧師先
生ご自身がなさっている例は他にないのではと、本当に頭が下がる思いです。こ
の「祈りの和」を通して、古賀教会のことをリアルに知ることができ、祈りをお
ぼえることができます。週報やビデオの配信も遠方にいる者にとっては大変あり
がたいことですが、費やされる時間とご苦労も思います。教会は、老若男女が、
いろんな職業の人が、出身の国・地域の違う人たちが、垣根なく集えるところで
す。共通するのは、キリストを信じ、聖書の言葉に寄り添うこと。そこから、た
とえどこにいても、いつになっても、誰に対してもメッセージを発信いただいて
いることに、敬服するばかりです。
「人」は、いつでも、どこにいても、誰かが営みを重ね、繋がりをもっています。
神様は、その一人ひとりを愛してくださり、生きる証になっていることを感じま
す。本日は、古賀、仙台、嬉野の3つの場所から、1980 年代から現在まで、人の
おりなす営みを考えてみました。皆様と共有する機会をいただき、改めて御礼を
申し上げます。


コメント