「一粒の麦」 金子政彦
「よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死
ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多
くの実を結ぶ。」ヨハネによる福音書 12:24
1.一粒の麦 …「自己愛」、「愛着」、「執着」、「こ
だわり」、「習慣」の比喩
イエスさまのことば、「一粒の麦が、地に落ちて
死ねば、多くの実を結ぶ」…不思議なことばである。
普通、生きている種が発芽し、実を結ぶ。ある言語
学者は、この部分の日本語訳が、逐語訳(原文一語
一語を忠実にたどって訳すこと)の影響を受けてい
ることを指摘する。「地に落ちて死ななければ」と
訳されている言葉は「比喩」であり、ここでは一般
的な「死」を意味していない。ここでいう「一粒の
麦」とは、そのままの姿に留まること、現状に執着
すること、自分自身に愛着することのたとえと考え
られる。自己愛、こだわり、習慣などとも言い換え
られるだろう。
2.「地に落ちて死ぬ」とは?
一粒の麦が畑に播かれると、しばらくして芽が出
てくる。粒・種としての形状はなくなる。一粒の麦
の種が、新しい芽に変わる。新しい命が誕生する。
この表現は、イエス・キリストの十字架の死と復活
を示していると言われる。イエスさまは、神として
の身分に執着なさらなかった。それどころか罪人と
して処刑されるという、全知全能の神の在り方とし
ては最もふさわしくない有様で死なれた。ところが、
イエスさまの死は、神のご計画の中でそのままでは
終わらず、イエスさまの復活のできごとにつながり、
私たち人間と神との和解に展開していく。
3.命が移ろうことをおそれるな
私たちは、自分で自分の安全や命を守ろうとする
とき、身を固くし、現状に留まり続けようとする。
あたかも植物の種子が硬い殻で覆われているかのよ
うに。しかし、命を頂いているもの、命あるものは、
現状に留まり続けることはできない。『命は常にう
つろうものなのだ』 …ある言語学者は、24節から
そのようなメッセージを受け取る。
4.イエスに従い、仕える人を、神は大切にしてくだ
さる
神は、聖書を通し、古代から私たちに「恐れるな、
私が共にいる」というメッセージを伝え続けておられ
る。だから私たちは、自分で自分の命を守ろうとする
執着から解放される。神の愛を信頼して、受け取って、
他者を大切にする生き方、他者を活かす生き方に変え
られる。イエスさまに従い、そんな生き方を受け入れ
る人を、神は尊重し、大切にされる。「恐れなくていい。
私と共に、あなたはあなたとして生きなさい。」聖書は、
私たちにそのように約束し、私たちをやさしく招いて
いるのである。
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