「神を賛美する」 泉清隆
- kogabaptist
- 9月27日
- 読了時間: 2分
詩編102編1節には「苦しむ人の祈り。弱り果て、主の
前に嘆きを注ぎ出すときに。」とあります。新共同訳は「心
くじけて、…貧しい人の祈り」フランシスコ会は「不幸な
者が心挫け、その憂いを主の前に訴える祈り」とありま
す。解説にはユダヤ民族が捕囚の哀れな中での個人の
祈りが神殿での会衆の祈りになったのではと書かれて
ありました。その詩編の19節には「後の世代のために
このことは書き記されねばならない。『主を賛美するため
に民は創造された。』」とあります。(新共同訳)この個所
も訳によって違うのですが、新共同訳の訳が良いと思い
ます。
そもそも人はどのように生きるかについて、ハイデルベ
ルク信仰問答は「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一
つの慰めは何ですか」という問いから始まります。「ウェ
ストミンスター小教理問答」では最初に「人のおもな目
的は、何ですか」の問いに、答えは「人のおもな目的は、
神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」とあり
ます。(「信仰問答」は改革長老派の教会で今も用いら
れていますが、バプテストは「各人の自由」を尊重するの
で、信仰問答を「教科書」として用いることはしません。)
私は「人は神を賛美するために創られた」と告白しま
す。「賛美をする」という場合、私たちは礼拝で賛美歌を
歌うという事を考えます。古賀バプテスト教会では、礼拝
の中の一曲は手話で賛美歌を賛美しています。ローア者
の皆さんの集う教会での賛美は無音でしたという報告
を伺った事がありました。音はなくとも神への賛美があり
ます。詩編19:2-4「天は神の栄光を語り 大空は御手
の業を告げる。昼は昼に言葉を伝え 夜は夜に知識を
送る。語ることもなく、言葉もなく その声は聞こえな
い。」また、夜の集会中に皆さんで賛美を歌っていた時に
停電が発生しました。しかし目が不自由な方が奏楽者
でしたが、何事もなかったように続けて奏楽をされていま
した。その方にとっては暗闇も賛美を止めることはありま
せんでした。また、ダンス(さまざまな踊り)をもって神を賛
美する方々もおられます。しかし、私は瞬きの詩人といわ
れた水野源三さんの事を思い出します。瞬きをすること
で意思を表して神を賛美されました。水野さんの詩集が
神への賛美として、賛美歌にもなっています。
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