「証し」 A.O
- 2 日前
- 読了時間: 2分
私は福岡で産まれ、それから父親の仕事の関係で凄く引
越が多く、福岡~広島~兵庫~岡山~兵庫~千葉~大阪~
福岡と転々と色々な所に住んでいました。
広島の時に通っていた幼稚園がカトリックで、これが私
が初めてのキリスト教との出会いでした。
しかし数年しか居なかった為に、殆ど記憶の無いまま引
越し関西に住みました。そして小学校に入り給食も有りまし
たが、何より母親から毎食時に「TV 見ないで食べなさい。
早く食べなさい。三角食べしなさい。」と急かされ、給食で
は食べる量も少ない上、スピードも遅かったので、毎日残
されて食べさせられっていました。だから私は子供の頃か
ら食べる事が大嫌いでストレスでしかありませんでした。
人間関係も昔から独りっ子のせいか凄く下手で、特に中
学~短大の頃迄ずっとイジメに合い続け、物を隠される・仲
間外れにされる・嫌味や皮肉を言われる・バイ菌扱いされる
と云う暗黒の学生時代を過ごし、その事を親に話す「アンタ
が悪いから嫌われるれるのよ!」と一刀両断されて、私の
味方は全くいませんでした。
それからの私は親を殆ど信用出来ずに喧嘩は度々しまし
た。だから 1 人で神社仏閣や古墳を見に行き心を癒してい
ましたが、ほんの一時的なものでしかなく、時に 1 人で長崎
の教会へ行くと心が安らぎ、安心感を得ました。
そして初めて古賀教会に来て、当時の牧師夫人から「今
迄辛かったね。本当によく頑張ったね。」と言って抱き締め
て貰ったり、私が親と大喧嘩して寝出をして来た時も牧師
は深夜 2 時迄、話を聞いて下さり家迄送って下さいました。
本当にこの牧師夫妻には感謝しかないし、他の方と食べる
のが嫌で、礼拝後にすぐ帰ろうとする私に、「私の分を半分
あげるから、少しでも食べて行き。」と言って下さる方も居
て、徐々に食べられる様になりました。
それから時々行なわれた日曜日の賛美集会で唄い、祈り
を捧げ、主に全てを開放していきました。
その牧師ご夫妻が教会を離れられた時に、私も耐えられ
ずに 1 度はこの教会を離れ、ご夫妻の家で開かれたご夫と
私の 3 人で礼拝を捧げていましたが、お2人の祈りの深さ
に私が追いつかず、再び古賀教会に戻りました。
最後に私の好きな街言葉
「神は真実な方です。試練と共に、それに耐えられる様、逃
れる道をも備えていて下さいます。」
<コリントの信徒への手紙 I 10:13>。


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