サウロの回心 (使徒言行録9章1~19a節)
- 金子敬牧師
- 2015年3月21日
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一般に、悪い心を改めることを「改心」と言い表します。「非行からの改心」など言う場合に用います。これに似た言葉に「回心」があります。これはキリスト教用語で、この世の価値基準から神を神とする信仰基準に立ち返ることを表す言葉です。聖書ではしばしば「悔い改め(メタノイア/180度の方向転換)」と記されますが、これが回心にあたる言葉です。
サウロは熱心なユダヤ教徒でした。彼がこれまで教えられてきた正しい信仰のあり方は「律法の遵守」でありました。ですから、彼の眼に律法を外していると見えるキリスト者は受け入れがたく排除すべきものであり、キリスト教徒迫害こそが正しい行為であると信じて疑わなかったのです。使徒言行録9章は、神がサウロに手を伸べ、迫害の足を止めさせ、回心に導かれた物語です。所謂、自分から求めての「改心」ではなく、神に介入されての劇的な「回心」であったと言うのです。
しかし、このサウロの回心は、単に彼自身の個人的な出来事にとどまりません。これは神の人類救済の御計画の中で起こされていました。神はかつての迫害者を用いて、キリストの福音を全世界に伝えさせようとしたのです。これは後に彼自身が「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、・・・その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」(ガラテヤ1:15~16)と記しているように、あの時、キリストとの邂逅により自らが砕かれ敗北したことが、神の器として新しく歩み始めることに先立つ、恵みの出来事であったと気づかされるのです。挫折は単なる彼のマイナスではなく、新しい出発への転換点であったのです。実に神のなさることは不思議です。
このように「回心」は人生のゴールではなく、新しい目的に向かっての出発点です。その人その人に期待されている神の御計画は、彼のような「大いなる挫折」を通しても起こされるものです。壁に突き当たり、思い通りにならないことの彼方に、実は新しい地平が開かれています。そうです、「目からうろこ」はあなたにも起こる体験なのです。
TK生
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