永遠を思う
- kogabaptist
- 2019年9月21日
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神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永 遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神の なさる業を始めから終りまで見極めることは許され ていない。(コヘレトの言葉3章11節) コヘレトの言葉は口語訳聖書では「伝道の書」、 新改訳聖書では「伝道者の書」と言われています。 ヘブライ語聖書では「ダビデの子、エルサレムの コヘレト」となっています。この「コヘレト」とい う言葉の意味は「集まっている者」という意味で、 集会で教える教師、非常に思慮深い指導者。また知 恵の言葉を集めて、学び、知恵を得た者を指してい ます。それで伝道者となりました。 1章2節「コヘレトは言う。なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。」口語訳「伝 道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。」 新しい共同訳聖書も「空の空」と訳されていますが、 非常にむなしい響きをもっています。この「空」は ヘブライ語で最上級を表す言葉が用いられていま す。ですから、全くもって虚しいということになり ます。旧約聖書の中のこの「空しい」という言葉の 半分はこのコヘレトの言葉で用いられています。 聖書ではこの「空」は否定で使われています。そ して何も確かな基盤をもっていないところではすべ て空である、空しいといっています。 3節からは「太陽の下、人は労苦するが すべて の労苦も何になろう。(その身になんの益があるか)。 一代過ぎればまた一代が起こり 永遠に耐えるのは 大地。日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。 風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き 風は ただ巡りつつ、吹き続ける。…」 しかし、イエス・キリストの神にあっては、私た ちの人生はどのようなものでありましても、決して 空しいことはありません。 「だから愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、 いつも全力を注いで主の業に励みなさい。主にあっ ては、あなたがたの労苦は無駄になることはないと、 あなたがたは知っているからである」 コリントの信徒への手紙①15章58節
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