証し
- R.S
- 2019年10月4日
- 読了時間: 2分
私は1966年、福岡市東区の箱崎で生まれ育ち ました。クリスチャンであった父に連れられ、子ど もの頃から妹と共に3人で、ここ古賀バプテスト教 会(以下、古賀教会)に通い初め今日に至ります。 なぜ箱崎に住んでいて古賀教会へ現在まで通ってい る事になったか言いますと、父が若い頃、結核にか かり、古賀市の国立療養所福岡東病院(現在の東医 療センター)で療養している時に、病院伝道の宣教 師に導かれて退院後、古賀教会でバプテスマを受け ました。それ以来、古賀教会と関わらせて頂いてお ります。 子どもの頃の私にとっては、日曜日に教会に通う ことは、大好きだった父と妹とドライブ気分で楽し かったのかもしれません。中学生になって、バプテ スマを受けたいと申し出ましたが、クリスチャンで はなかった母の反対で見送りとなりました。それか ら5、6年経った短大1年生、妹は高校3年生の時、 長く教会に通っているので、当時の斉藤英哉牧師の 勧めもあり、バプテスマを受ける事になりました。 今では笑い話ですが、当初8月の予定のところ、母 に「その日は仏滅だから他の日にして」と懇願され たことにより9月に変更になりました。牧師も母が 娘達のバプテスマを容認してくれたことを尊重して 下さったのだと思います。 私は自分で教会に行ってみたいと思って行き始め たわけではない、父がクリスチャンだったから、と 言い訳にしてきた信仰生活でした。今だに私はクリ スチャンです、と堂々と言えるだけの信仰深さも、 聖書の知識もありませんが、そんな私の家族の中か らも、7年前に息子が中学一年生でバプテスマを受 け、その翌年に父が亡くなり、その一年後に母が8 2歳でバプテスマを受けました。40年前、私たち 娘のバプテスマを何とか阻止しようとした母がで す。このような、神様の出来事を見せて頂く時、私 達はやはり神様の時の中で生かされているのだとい うことを否が応でも思わされます。『新改訳』聖書 伝道者の書(コヘレトの言葉)3章11節「神のなさ ることは、すべて時にかなって美しい」これからの 人生もいろいろなことがあるでしょう。でもその時 その時全てに神様が関わってくださることを思うと きに、こんな弱々しい私も、恐れずに歩いて行ける と確信できます。感謝しかありません。主の御名を ほめたたえます。
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