信仰告白
- E.K
- 2019年10月14日
- 読了時間: 2分
私は母がクリスチャンで松山のキリスト教の幼稚 園に行きました。母は香住ヶ丘キリスト福音教会に 通っていて、私も小学生の頃はそこに通いました。 気の強い母が信じてるのがイエス・キリストでし た。 私は学校では何かと普通と違うと言われていじめ られる日々で心が病んでいきました。自分の意見が なくあまり言えず、それが普通なのだと諦め切って いました。何が正しくて何が間違いなのか分からな くなる日々の中で、勢いにまかせて悪ノリしたり、 またさせられたり、自制できませんでした。私は思 い通りにできなかったら怒ったり、こだわりが強い とこがあります。また、さみしがり屋で自分という ものを持っていないところがあります。慣れから来 る奢りや人の優しさに気付けない部分がありまし た。そして世の中に悪い面ばかり見て失望しました。 私は天邪鬼な性格で人の意見に裏があると思ってい ました。惰性にダラダラ生きるより自分の気分の良 いことや認められたい欲求も存在します。自分が良 かれと思ってすることが、人に誤解を与えたり傷付 けていたということも多少ありました。反逆的な態 度で相手を試したりということも時にありました。 今思えば、自信の無さの裏返しだったかもしれませ ん。 この古賀バプテスト教会には通院先の入院時の主 治医の勧めで行き始めました。 私の好きなグループ NICO Touches the Walls の Diver の歌詞の中に『ただの幸せに気付いたら二度 と溺れないよ』とありますが、教会に来て本当の幸 せイエスキリストに気付いて、私は愛されている自 信を持ちました。 友達ができないとある方に相談したら、本当の友 達は1人か2人いれば十分と言われ安心しました。 また教会員の方からも何事も焦りは禁物ですよとも 言われ励みになりました。 聖書にはヨハネによる福音書15章15節でイエ ス・キリストは「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」 と言われました。だから私は安心しました。 イエスキリストは私のために死んだけれども死な れただけでなく、復活されました。そして、今も私 とともにおられます。教会は同じ信仰の仲間たちと 安心して話せることが嬉しいです。 私も母も音楽が好きなので古賀教会の賛美歌に感 銘を受けました。 これからも古賀教会の礼拝に出席し歩んでいきた いと思います。
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