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6.23「沖縄(命どう宝)の日」 2020.6.21

昨年は古賀バプテスト教会より3名の方々が沖縄 学習ツアーに参加されて、沖縄について報告をして 頂きました。今年は残念なことにコロナウィルスの 影響でツアーは中止になりましたが、日本バプテス ト女性連合は2007年に6月23日を「沖縄(命どう 宝)の日」として覚え、平和を祈る日としました。 現在、沖縄の苦しみ、悲しみ、痛み、叫びに連帯す るためにいろいろな取り組みがされています。その 中で、普天間バプテスト教会の神谷武宏牧師が立ち 上げた「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」 があります。発端となったのは米兵によるレイプ事 件でした。この非暴力で祈りとゴスペルを歌う会は 全国に広がりました。その記録集の中に、戸塚平和 ゴスペル行動呼びかけ人の渡邊さゆりさんがいま す。さゆりさんが「女がうたうこと」として書かれ ていますので、紹介します。 (聖書に)女が歌い手として記されることは稀で す。ミリアム、デボラは、詩歌に関連づけられても、 単独ではうたいません。ハンナの祈りは、形式的に は歌ですが、ハンナが「うたった」とは記されませ ん。「マリアの賛歌」も、「マリアは言った」とあり 「うたった」とは記されません。詩編でも、女が主 な歌い手と積極的に表現されている箇所を見いだせ ません。女がうたうことと切り離されているように 読めるのは、聖書文書が男性中心的社会で編まれた ことを反映しています。しかし、女たちが戦勝歌、 葬送の嘆きの歌に関わっていたことは明瞭に読み取 れます。これらは、公的、宗教祭儀的歌唱と区別さ れていたのでしょう。一方、神殿での女たちによる 公的歌唱(同室での礼拝行為)は、認可されませんで した。キリスト教でも、女が歌をうたうことは、長 期間封じられてきました。「婦人たちは、教会では 黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されて いません」(コリントの信徒への手紙一、14・3 4)との記述が、教会での歌唱を男性に限ったこと に反映されているとも考えられます。…中略… 女たちも生活の中のさまざまな場面でうたってい たはずです。しかし、宗教歌は聖書内の言葉が使わ れるため、女たちの参与は困難で、たとえあったと しても隠されてきました。

だからこそ、わたしは、普天間米軍基地野嵩ゲート前 で、オスプレイ、基地、そしてレイプに反対し、賛美 をし続ける行動に、女たちが立つことに特別な意味が あると考えています。公的な取り交わし、談合を繰り 返し、当事者不在の協定を締結する場にはいない者た ち、声を消される人びとと、それに連なる人びとのう たが、決定的な抵抗となるのです。」

「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会 歩み・記 録集 ゴスペルのぬるしをあげて」 いのちのことば社 より引用しました。

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