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『決してあの日を忘れない』

今年も8月、終戦記念日を迎えます。今は日本国中どこを探しても戦争の傷跡を思わせるような場所はなくなり、戦争体験者も年々少なくなりました。それだけ平和の時代が続いてきたことを何より喜ばしく思うと共に、これからも一層平和な世界を目指していかなければと思わされます。

 そんな現在でも私は8月が巡ってくると、どうしても空襲で一夜にして焼失した懐かしい我家のことを思い出さずにはいられません。私の家は兵庫県の芦屋にありました。芦屋は海と山に恵まれ風光明媚でかつ大阪と神戸のちょうど中間にあり、とてもおしゃれな街でした。工場などは一つもないのに毎日毎夜空襲警報のサイレンが鳴らない日はなく、ついに8月5日夜の阪神大空襲で一夜にして我家は焼失してしまいました。私は小学5年生でしたが父がこの年の5月にボルネオで戦病死し、正に踏んだり蹴ったりの年になりました。 母と姉と私の三人は焼け出され、着の身着のままの姿で知人宅を頼り同居させてもらい、なんとか生きのびて参りました。それから後の苦難の日々は戦争体験者の方々にとっては等しく忘れることができない辛い思い出の日々となりました。 しかしこのような苦難の中にあって神様は決して私たちを見捨てることなく、支え導いてくださったことを思わずにはいられません。 私は戦後初の新制中学1年生になり、西南女学院に入学し、中学1年時のイースターの日に戸畑教会でバプテスマを受けました。それからの日々は教会生活が中心といった毎日となりました。当時牧師だった日笠先生はちょうど戦病死した父と同じ歳であられたので、私にとっては正に「お父さん」といった感じで慕い尊敬した先生でした。 ここで過ごした少女から青年時代は、私の人生の中でもかけがえのない充実した時であったことは否めません。 やがて金子と結婚し、牧師の妻として教会に仕え働く日々となり責任も重く、時にはくじけそうになる時もありましたが、そんな時にはいつも神様は様々な人や事柄を通して助け、導き元気に歩ませてくださいました。それを思うと心から感謝せずにはおれません。以来現在に至るまで私たち家族は、教会が我家と同じく慕わしい場所となり、慰めと平安、喜びと活力を頂きながら力強く生活させて頂いてまいりました。 顧みると私の父が信仰者であったことから家族一同が導かれ、教会生活を喜びつつ歩めるようになったことを思い、感謝せずにはいられません。ですからあの『主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます』のみ言葉を心から「アーメン、その通りです」と申し上げずにおれません。父もきっと天国で喜んでいてくれると思います。これからも家族そろって教会に通い、信仰生活を一層大切に忠実に守り、神様に喜ばれる者として歩んでいきたいと思っております。

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