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信仰告白

いきなりですが、わたしは自分が嫌いです。昔からずっと嫌いで

す。役立たずで、いるだけで人に迷惑をかける。何か話すと、周り

の人を困らせる。ちっとも賢くもない。でも、そんな私を少しだけ

変えてくれたのが「手話」でした。私は手話で聞こえない方と聖書

のお話をするのが大好きです。手話をするきっかけは、2011年東日

本大震災でした。震災が起きたころ、職場の西南学院小学校の子ど

もたちが「先生、神様はどうしてこんな酷いことするんですか?」

「先生、神様はどこにいるの?」と必死に問いかけてきました。私

は、聖書から「神様は苦しんでいる人と一緒にいるお方ですよ」と

子どもたちと話しました。でも、これでは自分が納得しませんでし

た。これはまずいと思いました。「わたしのきょうだいたち、「私に

は信仰がある」という者がいても、行いが伴わなければ何の役にた

つでしょうか。」(ヤコブ2.14)「言葉や口先」(ヨハネ1.2.18)だけ

ではダメだ。自分の足を使い、目で見て神さまのこの問いに応えな

ければならないと思ったのです。それができてこそ、子どもたちに

本当の返事ができると。そこで、岩手に災害ボランティアとして2

回行かせていただきました。大地がはぎとられ、アスファルトも道

さえない。生活が奪われ、土の中からでてくる教科書やカバンや、

お皿や。子どもたちのおもちゃ、人形。空き缶のように積み重ねら

れたたくさんの乗用車。災害の土の中からは釘やガラスや柱や瓦。

どんなに痛かったか、どんなに恐ろしかっただろうか。胸が痛くな

り、言葉もありませんでした。そして、自分がいかに小さく、また

何にもできないものであるのか。価値なき人間の自分がなんでここ

へ来てしまったのか。その時の自分の姿はやはりあの大嫌いでとて

も傲慢な考えの偽善者と思いました。しかし、神様はそんな私に道

を教えてくださいます。避難所である小学校を訪問した時のことで

す。ボランティアスタッフはみんなそれぞれの資格を活かし、自由

に奉仕を始めました。資格もなく、コミュニケーションもとるのが

下手な私は、ただそこに立っているしかありませんでした。役立た

ずの私。その時、肩を後ろからたたく人が。振り向くと女性が笑顔

でノートをこっちに見せてきます。読むと「私は耳が聞こえません。

私はマッサージの資格をもっています。一人では働けません。手伝

っていただけませんか」とある。鉛筆を差し出され、ノートで話を

しました。これが手話との大きな出会いになったんです。初めて覚

えた手話は、を「よい」「悪い」2つだけ。でも、嬉しかった。女

性はとても喜んで笑顔で私に微笑みで語りかけ、一緒に活動を終え

ました。その後、女性は、手話をしてきました。突然、繋がってた

心が切り離された思いでした。私には何度されても私が受け取れな

い。それでもなんども同じ手話をしてきた。突然あらわれた壁に恐

怖を感じました。すると、近くにいた人が「“まゆみ“、名前よ。

そしてあなたの名前を知りたいってよ」。どこから来たの?また、

会える?たくさんお話したいのに、ノートに書くタイミングもわか

らず、また自分から声をかける勇気がなく、別れてしまいました。

「神様、どうか。わたしに手話で話す先生をください。わたしに恩

返しをさせてください。聞こえない人のために教会で何かさせてく

ださい」。それから毎日祈り、家でも手話のニュースなどを見るよ

うになりました。その後は、そこから神さまは素晴らしいことをた

くさん準備してくださいました。今では、手話で聖書のお話の学び

ができるようになり、その仲間はみんな宝物のような存在です。ま

た、そのうち、3人の方がバプテスマを受けて神さまの家族になっ

てくださいました。しかし、私がいた福岡西部教会は無牧師の時代

をこえて牧師を迎え新しい歴史が始まりました。

そこに望みもしないコロナの時代がやって「無理して来なくていいよ」

「遠いし、大変だからリモートで」「手話も私がやります。真理奈さん

がいなくても大丈夫です」と言われるようになりました。それが、神様

が私に下さったサインでした。「お前は何者か。なぜ手話をしているの

か。献身者として導いたお前がいるべき所、遣わされたのは何故か考え

ろ」。と私に問われたのです。それで、行く先はわからずとも示された

道へ出ることしました。そこで、自分が宿題にしていた課題に取り組む

ことにしました。それは、福岡地方連合の手話の活動の中で、突発性難

聴の方や、難聴の方のご家族からいただいた声でした。「何もわかりま

せん。せめて助けになればと手話を習いに来ました」「ずっとふさぎ込

んで人とも合わなくなってしまいました。良い方法をおしえてくださ

い」。そのとき、震災のボランティアで手話のときに出会った時に感じ

た、突然現れる壁があちこちに、教会や私たちの周りに同じように現れ

ていることに気が付かされたのです。そこで、耳の聞こえにくい方の補

助ができる文字通訳、要約筆記を学び、現在、福岡県要約筆記者として

学びをつづけています。他にも、歳をとって教会に来れないや、怪我を

して礼拝にでれない、また疲れて礼拝いけない。人に迷惑かけるから教

会に行けない。そんなことが、だんだん教会で起きていないでしょうか。

それも、突然現れるあの人と人とを隔てる謎の壁のせいではないでしょ

うか。私は「開かれた教会」って何かを考えます。誰もが、「自分が迷

惑だ」なんて言葉を使わないで、安心し御国に行く日まで喜んで礼拝に

来てみ言葉を受けることができるそんな礼拝の奉仕をいつもしたいと思

っています。「苦しみにあったのは、私には良いことでした。あなたの

掟を学ぶためでした」(119.71)「あなたの言葉は私の足の灯火。私の道

の光」(119.105)。「私たちが苦難に遭うならそれはあなた方の慰めと救

いのためです」(IIコリ1.6)古賀教会は、以前から手話の賛美をしてく

ださったり、関わりのある教会であり、泉先生もおられ、礼拝で様々な

みなさんの思いやりや配慮の奉仕のある教会だと思います。まだまだ無

知でありますが、ご一緒に交わりの中に入れていただき、ご指導もいた

だきながら信仰生活をあゆませていただきたいと思います。あなた方は

世で苦労がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝ってい

る。(ヨハネ16.33)

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