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「ふと神さまのことを思い出して」  泉 清隆

現在は西南学院大学神学部で教鞭をとられている、片山寛さんが西南女学院大学に在職中に大学のチャペルで学生たちに話された、メッセージ集である、若者にマラナ・タと祈る説教集「風は思いのままに」の中から引用します。


 トルストイに、『人は何で生きるか』という童話がございます。ご存知の方が多かろうと思いますけれども、セミョーンという名の一人の靴屋のお話です。女房と食うや食わずの生活をしています。余裕なんかまるでない、かつかつの生活で、しかも靴を売った代金をとりに行くと、今はないからまた今度おいで、と言われてしまう。そのお金が入ったら、この冬のための毛皮の外套を作るはずだったのですが、駄目になってしまいます。雪が降って来る中を、むしゃくしゃしながらとぼとぼと夕方の雪の道を歩いて帰る途中で、ヨーロッパにはよくありますけれども、田舎道の側に小さなお堂がありまして、その後ろに裸の若者が座っている。何だか気味が悪いし、助けてやる力もないから、通り過ぎようとするのですが、ふと神さまのことを思い出して、そのぶるぶる震えている若者を助けて、自分のおんぼろの外套を着せかけて連れて帰る、という話であります。

 「ふと神さまのことを思い出して」というところが、とてもいいと思います。そのようにして神さまの憐れみが、優しさとして現れること、そのことが、この私たちの世界の中で、時には全く先の見えない暗闇や、得体の知れない恐怖の中で、私たちを日々支えてくれる力なのではないでしょうか。

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