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土の器        泉清隆

聖書のこの「土の器」と訳されている言葉はどのような意味があるのか調べてみました。先ず、「土」はギリシア語ではostrákinosオストラキノス 粘土、聖霊の神殿、宮である、もろい、弱い人間の意味で用いられています。人は土のちりで造られました。(創世記2章7節)そして、「器」skeuosスケイオスは、焼き粘土で作られた陶器(粘土容器)を指します。粘土の壺は、メッセージ、契約書、遺言などを保管するものとして使用されました。また、液体を入れる容器。憐れみや怒りの器という意味もあるようです。英語のKJV聖書などは earthen vessels,となっていますが、vesselsは器ですが、血管も意味しています。聖書では「血は命」申命記12章23節と書かれていますが、その大事な命の器ということも思います。

 この聖書の時代はよく土の器の中に金や銀を入れてしまっておく風習があったのです。人間が地上に持っているこの体は丁度この土の器のようです。いろいろな弱さがあります。粗末で壊れやすいものです。本当に人間というものはもろいものです。不完全なものです。けれどもその中にイエス・キリストが入っているのです。イエス・キリストという宝が入っているのです。

わたしたちは外側の器を気にしやすいものです。「いいえ中身です。」と言っても気になるものです。でも土の器でよいのです。その中に尊い宝であるイエス・キリストが入っているという事です。イエス・キリストの香りが器の中から香るのです。器が香るのではありません。大事なことはその器の中に何が入っているかという事です。たとえ高価な器であっても中に泥が入っていたらその泥が臭います。ですから今入っているものを出して、空っぽにしてイエス・キリストを入れるのです。人は本当に器を嘆きます。こんな自分はいやです。そして失望したり、立ち止まったりひがんだりするのです。しかし、その器の中にイエス・キリストという宝が入っているのです。

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