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転入会の証 S.N

転入にあたって、自分自身と、信仰についてもう一度見 つめなおす機会を与えて下ったことを感謝いたします。私 は1950年1月、四方を山に囲まれた山口県の小さな村に四 人姉妹の末っ子として生まれました。姉たちはわりと優秀 で先生からも一目置かれる存在でしたが、私一人は落ちこ ぼれの劣等生でした。上二人の姉とはずいぶん年齢差があ りましたが、すぐ上の二歳違いの姉は私が妹であることが 人に知られることをひどく嫌がっていました。何かにつけ 否定されることの多かった私はすべてにおいて自信が持て ず、自己嫌悪と劣等感のかたまりでした。中学1年生の時、 学校の図書室で何げなく手に取った本「偉大なる生涯の物 語」、それが私とイエスとの出会いでした。衝撃をうけまし た。13歳の私は、イエスにのめりこみました。教会に行 きたいと思いました。でも小さい田舎には教会があろうは ずもなくキリスト教への憧れだけが、私の中でどんどん膨 らんでいきました。イエスの存在は私の心の拠りどころで もありました。大学生となり、学生WM(W)CAに入部し ました。部員の多くがクリスチヤンで、そこで語られるイ エス像と中学、高校と6年間勝手に自分の中で作りあげて きたイエスの姿との違いに戸惑うばかりでした。あれだけ 憧れていた教会にもなかなか馴染めませんでした。神の選 び、神の救い、洗礼の意味。わからないことばかりでした。 洗礼を受けたら救われる、受けなければ救われないという ことに、違和感を覚えた私はなかなか洗礼を受けることが できませんでした。39歳の時、重い病気かもしれないと 言われました。結果的には大丈夫でしたが、その時、死を 強く意識した私は洗礼を受ける決心をしました。洗礼を受 けたものの、信仰的にも人間的にも本当に弱く、迷いの日 々でもあります。だからこそ神様を求めているのかもしれ ません。私には二人の娘がいます。下の娘は小学校5年生か ら不登校気味になり、中学校3年間はほとんど学校に行く ことができませんでした。思春期の難しい時期、先の見え ない不安の中、押しつぶされそうになりながらも、今日一 日を楽しく過ごそう、その一日一日の積み重ねの先に未来 がある。そう必死で言い聞かせていたように思います。何 とか通信制高校を卒業しました。その娘も今は39歳。二 児の母となりました。生きていると理不尽なこと、つらい こと、いろいろなことがあります。そんな時、人生は学校 だと思うようにしています。神様から宿題をだされている のだと、そう思うともう少し頑張ってみようという気持ち になります。私の好きな聖句の一つに「いつも喜んでいな さい。たえず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。」 というのがあります。「いつも喜んでいなさい」いつも私は 心配ばかりしています。「たえず祈りなさい」邪念ばかりで 心から祈ることができません。「たえず祈りなさい」感謝し たいと思いながらも感謝の心を忘れています。

自己否定感が強く自分を責めてばかりいます。でも、最近気づ かされました。それは自分という人間の傲慢さの裏返しだと。 だからこそ先の聖句は私にとってとても大切なもなのです。昨 年の四月腰椎圧迫骨折をし、一か月、ほぼ寝たきりの状態でし た。ひしひしと老いを感じ、死をより身近なものに感じました。 とはいっても老いも死もなかなか受け入れることができない自 分がいます。それを受け入れる強さとしなやかさをくださいと 祈っています。これから死に向かっていく日々の中、いろいろ な事があると思います。共にいて下さる神様に、手を引かれ、 時におぶってもらいながら、「もういいよ」と言って下さるその 日まで、生ききらねばならないと思っています。お天気の朝、 私は朝日を浴びるようにしています。全身が陽の光に包まれる 時、神様の愛が注がれているのを感じます。風のそよぎ、鳥の さえずり、神様の恵みを感じます。大空の下、立っていると、 自分を俯瞰して見れるような気がします。許され生かされてい ると感じます。ありがとうという言葉が自然にあふれてきます。 老後は近くの教会で、という思いは若い頃からありました。古 賀教会の皆さんは本当に温かく迎えてくださいました。心がほ のぼのしました。教会学校では多くの事を学ばせて頂いていま す。皆さんをより身近に感じることもできました。その仲間に 加えて頂けたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたし ます。

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