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転入䌚の蚌 S.N

転入にあたっお、自分自身ず、信仰に぀いおもう䞀床芋 ぀めなおす機䌚を䞎えお䞋ったこずを感謝いたしたす。私 は1950幎月、四方を山に囲たれた山口県の小さな村に四 人姉効の末っ子ずしお生たれたした。姉たちはわりず優秀 で先生からも䞀目眮かれる存圚でしたが、私䞀人は萜ちこ がれの劣等生でした。䞊二人の姉ずはずいぶん幎霢差があ りたしたが、すぐ䞊の二歳違いの姉は私が効であるこずが 人に知られるこずをひどく嫌がっおいたした。䜕かに぀け 吊定されるこずの倚かった私はすべおにおいお自信が持お ず、自己嫌悪ず劣等感のかたたりでした。䞭孊1幎生の時、 孊校の図曞宀で䜕げなく手に取った本「偉倧なる生涯の物 語」、それが私ずむ゚スずの出䌚いでした。衝撃をうけたし た。歳の私は、む゚スにのめりこみたした。教䌚に行 きたいず思いたした。でも小さい田舎には教䌚があろうは ずもなくキリスト教ぞの憧れだけが、私の䞭でどんどん膚 らんでいきたした。む゚スの存圚は私の心の拠りどころで もありたした。倧孊生ずなり、孊生()に入郚し たした。郚員の倚くがクリスチダンで、そこで語られるむ ゚ス像ず䞭孊、高校ず幎間勝手に自分の䞭で䜜りあげお きたむ゚スの姿ずの違いに戞惑うばかりでした。あれだけ 憧れおいた教䌚にもなかなか銎染めたせんでした。神の遞 び、神の救い、掗瀌の意味。わからないこずばかりでした。 掗瀌を受けたら救われる、受けなければ救われないずいう こずに、違和感を芚えた私はなかなか掗瀌を受けるこずが できたせんでした。歳の時、重い病気かもしれないず 蚀われたした。結果的には倧䞈倫でしたが、その時、死を 匷く意識した私は掗瀌を受ける決心をしたした。掗瀌を受 けたものの、信仰的にも人間的にも本圓に匱く、迷いの日 々でもありたす。だからこそ神様を求めおいるのかもしれ たせん。私には二人の嚘がいたす。䞋の嚘は小孊校5幎生か ら䞍登校気味になり、䞭孊校幎間はほずんど孊校に行く こずができたせんでした。思春期の難しい時期、先の芋え ない䞍安の䞭、抌し぀ぶされそうになりながらも、今日䞀 日を楜しく過ごそう、その䞀日䞀日の積み重ねの先に未来 がある。そう必死で蚀い聞かせおいたように思いたす。䜕 ずか通信制高校を卒業したした。その嚘も今は歳。二 児の母ずなりたした。生きおいるず理䞍尜なこず、぀らい こず、いろいろなこずがありたす。そんな時、人生は孊校 だず思うようにしおいたす。神様から宿題をだされおいる のだず、そう思うずもう少し頑匵っおみようずいう気持ち になりたす。私の奜きな聖句の䞀぀に「い぀も喜んでいな さい。たえず祈りなさい。すべおのこずに感謝しなさい。」 ずいうのがありたす。「い぀も喜んでいなさい」い぀も私は 心配ばかりしおいたす。「たえず祈りなさい」邪念ばかりで 心から祈るこずができたせん。「たえず祈りなさい」感謝し たいず思いながらも感謝の心を忘れおいたす。

自己吊定感が匷く自分を責めおばかりいたす。でも、最近気づ かされたした。それは自分ずいう人間の傲慢さの裏返しだず。 だからこそ先の聖句は私にずっおずおも倧切なもなのです。昚 幎の四月腰怎圧迫骚折をし、䞀か月、ほが寝たきりの状態でし た。ひしひしず老いを感じ、死をより身近なものに感じたした。 ずはいっおも老いも死もなかなか受け入れるこずができない自 分がいたす。それを受け入れる匷さずしなやかさをくださいず 祈っおいたす。これから死に向かっおいく日々の䞭、いろいろ な事があるず思いたす。共にいお䞋さる神様に、手を匕かれ、 時におぶっおもらいながら、「もういいよ」ず蚀っお䞋さるその 日たで、生ききらねばならないず思っおいたす。お倩気の朝、 私は朝日を济びるようにしおいたす。党身が陜の光に包たれる 時、神様の愛が泚がれおいるのを感じたす。颚のそよぎ、鳥の さえずり、神様の恵みを感じたす。倧空の䞋、立っおいるず、 自分を俯瞰しお芋れるような気がしたす。蚱され生かされおい るず感じたす。ありがずうずいう蚀葉が自然にあふれおきたす。 老埌は近くの教䌚で、ずいう思いは若い頃からありたした。叀 賀教䌚の皆さんは本圓に枩かく迎えおくださいたした。心がほ のがのしたした。教䌚孊校では倚くの事を孊ばせお頂いおいた す。皆さんをより身近に感じるこずもできたした。その仲間に 加えお頂けたらず思っおいたす。どうぞよろしくお願いいたし たす。

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