「救いの完成のために」 マタイ26:47~56
- kogabaptist
- 2014年4月12日
- 読了時間: 2分
イエスは早くからご自分の歩まれるべき道について、弟子たちに語っておられました。「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」-マタイ16:21より-。「多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」とは「神のご計画」を言い表わしています。私たち人間の計画はあくまで願いであり予定にすぎないことが多いのです。しかし、神のご計画は必ず実現します。否、実現しなければならないのです。
そのご計画はとは、人間を「罪」から救うご計画です。「教会は罪、罪というからイヤだね」という声を聞きます。世の中には悪い人もいるが、自分はそれほど悪い人間ではない…。誰もがそう思いたいのです。けれども、自分の胸に手をあてたときに見えてくるのは、やはり「罪ある私」の姿です。配慮のない言葉で私は幾人の人を苦しめてきただろうか。また、「おめでとう!」と祝福しながら心の中には妬(ねた)んでいる自分がいるのです。
今日の聖書の箇所でイスカリオテのユダは、イエスを捕まえるために下役どもと合図を決めていた(48節参照)のですが、このとき「先生、こんばんは」と挨拶しています。これは「祝福あれ!」に近い言葉です。ユダはイエスに祝福の挨拶をしながら「裏切り」を完成させたのです。ここに人の罪の姿が象徴されているのです。
イエスは、人の罪が渦を巻くその只中を、右にも左にも揺らぐことなく真っ直ぐに十字架に向かって歩み続けられたのです。もちろん、イエスに恐れや迷いがなかったわけではありません。けれども、ゲッセマネで祈られたイエスは「私の思いではなく、あなた(父なる神)のみ心がなるように」と祈りを締めくくられたのです。
受難週を迎えるこの朝、いま一度イエスの十字架への道行きを共に辿ってみましょう。
協力牧師 内田章二
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