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「聖霊に満たされた教会」 ペトロの手紙一 1:13~25

来る6月8日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。この日を境に、福音が全世界に宣べ伝えられ始めました。

ところで、今朝の聖書(ペトロの手紙一)は今から1900年以上前のまだ年若い教会で、信仰者として歩み始めようとしている人たちに対してなされた説教であったと考えられています。

当時、キリスト教徒は現在の日本と比較しても遥かに少数者でした。ちなみに、日本ではクリスチャン人口が少ない一方で、一般社会においてキリスト教は一定の評価を受け、市民権を得ていると言えます。しかし、この手紙が書かれた頃の教会は社会から全くといって良いほど認知されていない集団でした。ですから、バプテスマを受けて教会員となるということは社会的に大きなリスクを負うことになったのです。

1章6節に「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれません」と記されているのはそのためです。ところが、このような現実の中にあっても福音が宣べ伝えられたことを通して「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者」-4節より-とされたことを信じ、受け入れた人たちがいたのです。

ペトロはイエスを信じ、イエスに従うことを喜びとしていました。しかし一方で彼は信じ続け、従い続けることの困難さを誰よりも知っていました。四つの福音書すべてがイエス逮捕の時にペトロが逃げ、自分を守るために三度もイエスを知らないと言った記事を記しています。イエスに従うことは大きな喜びであると同時に危険を伴うことをペトロは知っていたのです。だからこそ、イエスに従う者は「いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」-13節-と勧めているのです。

試練の中にあって、なお希望に生きる初期の教会の姿は私たちにも希望を与え、宣教へと促す力を感じます。この力は何によって与えられるのか、ご一緒に考えましょう。

協力牧師  内田章二

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