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「愛を語り続ける教会」 テサロニケの信徒への手紙一 3:12~13   

今日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。この日ペトロが語った説教を聞いて3000人もの人がバプテスマを受けて仲間に加わった、と使徒言行録2章41節に記されています。このとき、ペトロは特に目新しいことを語っていません。むしろ淡々とキリストの十字架と復活、そして今起こっている出来事(聖霊降臨)をありのまま語っただけなのです。けれども、ペトロはこの出来事が神の愛のご計画の中で起こったことを語らずにはいられませんでした。

以前、ある方から「教会に行くと、なにか良いことがありますか」と尋ねられたことがあります。そう言われてみると、なるほど教会に来れば良いことがあるということだったら、教会は人であふれるのかもしれません。けれども、現実には信じても苦難はあるのです。そして、そのような苦難は私たちをしばしば信仰から引き離そうとするのです。教会の外から私たちを見ている人は、おそらく「そんな思いをしてまでなぜ教会に行くの?」と言うかもしれません。あなたは、この問いにどう答えられますか。

ヨハネの手紙一、4章10節に、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」と記されています。イエスに出会ったとき、誰もが神の「愛の迫り」を感じて信仰に入ったのです。それは、この私の罪のために十字架にかかって死んでくださった。この愛に、私たちは何をもってお返ししていこうか、というのが私たちの共有する信仰の告白であり、私たちの神に対する回答は、「私たちが頂いた救いの喜びを伝えたいのです」というものでありたいのです。

この朝は、パウロがテサロニケの教会に書き送った手紙を通して、教会が聖霊降臨の日から今日に至るまで語り続けてきた「神の愛」が私たちの人生にどれほどの豊かさをもたらすかについて、いま一度ごいっしょに考えてみましょう。

協力牧師  内田章二

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