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なんと美しい足 ローマの信徒への手紙 10章9~15節

「福音」とは「良い知らせ」「嬉しい知らせ」のことです。聖書には4つの福音書がありますが、そこにはイエス様がどんな方であったかが、ありありと証言されています。良く知られている誕生物語もありますが、大部分はイエス様がバプテスマをお受けになってからの3年余りを、中でも十字架と復活という特別の出来事を記しています。

マルコが記した福音書の最後には「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われる。」(マルコ16:15,16)と、主イエス御自身の言葉を記しています。福音は信じる人によって伝えられ、そこで信じて救われる人が起こされます。主イエスの出来事は、アジアの片隅から始まり、世界中の人々に伝えられ、今、この私たちのところにも届けられているのです。

イエス様の出来事(福音)を伝えることを「伝道」と言い表しますが、これは、信じて救いの喜びに与っている人には、そうせずにはいられないことなのです。しかしながら、不思議なことにこの「喜び」がなかなか伝わりません。何故か?福音が人間の罪を指摘するからです。「イエス様があなたの罪を引き受けて十字架にかかられた」と語りかけても、「わたしが罪人」というメッセージを受け入れられないのです。そのために「福音」は届かず、伝道は頓挫し、「伝道してもダメだ」との諦めに襲われます。あるいは、その人との表面的な関係を保ちたいがゆえに、それ以上に関わらないというところに落ち着いたりするのです。嗚呼!

しかし、これ以外に福音が届けられることはないのです。神は誰かを用いてこの福音との出会いを起こさせます。自分の罪を認めてイエスを自分の主人として迎えるなら、その人は本来の人間性を回復し、新しいいのちに生きることができるのです。伝道は実に忍耐のいる仕事です。でも、パウロは「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」(ローマ10:15)と、諦めることなく足を運び、福音を届ける人の足を賞賛します。最高に美しい足、それは福音を届ける人の姿なのです。

       TK生

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