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「神の慈しみに包まれて」 マタイによる福音書 6章25~34節

  • kogabaptist
  • 2014年7月5日
  • 読了時間: 2分

疲れた時にはちょっと歩いてみる。行く先は決まっている。教会から5分ほどの古賀の海。松林を抜けると波の音が心地よく、潮の香りに包まれる。大きく深呼吸。引き潮のときは浜辺におりて砂を踏む。この浜の砂は細かく引き締まって歩きやすい。風と波の音に包まれてしばらく歩く。中川の河口辺りから松林の小径へ。そこは別世界。厳しい風を受けとめたためか曲がりくねった松の大木たち。松の薫りを感じる。足元には風雨から守られて可憐に咲く名も知らぬ野の花。僅か30分ほどではあるが、神の慈しみに包まれる至福の世界を味わう。

全く手が加えられない自然を探すのはもう無理だろうか。それでもこんな近くに豊かな自然があり、いつでも疲れた者を迎え入れ癒してくれる。「人は神と富とにかね仕えることはできない」とあるが、いかにお金を積んでも、この至福を買い求めることは不可能である。ここは神の世界だ。

ところで神の慈しみに包まれた私は果たして疲れた旅人を迎え入れ、神からいただいた慈しみをもって受け入れているだろうか。「こんな忙しい時に」「私も疲れているのに」と拒んではいないか。イエスは言われる、「空の鳥を見よ、野の花を見よ」と。神はそこに人がいなくても、空に鳥を養い、野に花を咲かせている。いつでも迎え入れる備えをしている。一切、打算のない世界、重荷を負う者を受け入れる神の国の姿である。

主イエスは言われる。「何よりも神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)と。並行記事のルカ福音書では「小さい群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12:32)とある。世の中はお金を積んで人の心を支配しようとする。しかし、人々の心を受け入れるところは富の世界ではない。私たちの罪を赦し、弱さを引き受けて下さるために御子イエス・キリストさえ惜しまずに与えられた神、イエス・キリストの父なる神の世界である。このお方の御懐に包まれる世界。教会は、たとい小さな群れであっても、この神の国をいただいている。神はここで疲れた者を包み慈しむのである。

・・・そうありたと願う私ではある。

       TK生

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