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「人間、土を耕し守る者」 創世記2章6~17節

  • kogabaptist
  • 2014年7月19日
  • 読了時間: 2分

創世記には二つの人類誕生物語が記されています。第一の物語は1章にあり、神の言葉による無からの創造で、人は神の像に造られたとあります。第二の物語は2章で、神が擬人化されて登場し、人を土の塵で作り、ご自身の息を吹き込んで生きるものした、とあります。どちらも読み取るには深い内容を秘めているのですが、ここでは第二の物語、即ち、人が「土を耕し守る者」として造られたという点に注目してみましょう。

人が罪に堕ちるいわゆる「堕罪」物語は3章に入ってからですから、2章の物語は本来の人間の在り方とも言えましょう。物語の舞台はエデンの園(エデン=楽しみ → 楽園)です。楽園ですからお花畑や美味しい果物がいっぱい。何の労苦もなく神様をほめ歌っているところを想像するかもしれません。しかし、聖書は「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」(創世記2:15)と記します。「耕し」とは土を砕き、種をまき、刈り取る重労働です。更に「守る」とはこの土地を最も良い状態に保つこと、子々孫々に渡していく責任も含まれます。

20年ほど前にWCC(世界キリスト教協議会)がミッションステートメント(宣教の課題)として掲げた宣言に「正義と平和と被造物の保全」という文言が記されていました。「被造物の保全」(Integrity of Creation)とは、神によって造られた世界を最も良い状態(=シャローム)に保ち管理することです。人類は、本来、この神の素晴らしい御業に参与していると言えるのです。

これを可能にするためのルールこそ、「命の木と善悪の知識の木」にあったのです。「命」と「善悪」、この二つが神の領域にあることをわきまえることを知り、厳守していたなら、永遠に人類はエデンの園で神のシャロームを享受していたでありましょう。しかし、人間は罪に落ち、神を敵に回し。善悪の規範を我がものにし、命にさえも手を伸ばしているのです。

自然との共生は人類の英知によって切り拓かれるものではなく、神の英知、命の根源である神への回帰によってのみ可能なのです。然り、「土を耕し守る者」としてのわきまえこそ肝要と知らされるのです。

       TK生

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