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「殺さない~大切な決断~」 出エジプト記20章13~17節

世界中の法治国家がその規範とする教え、それが「十戒」です。十戒は人が人として生きる上での最高規範と言えます。即ち、すべての人間は神の像(かたち)に創造さているゆえに、性別、年齢、健康のいかんにかかわらず、存在そのものが尊く、等しく「尊厳」を持つのです。それ故、創造主である神の御前にのみ、自らを低くするものであり、お互いは優劣がなく神の前に平等です。ここからあらゆる社会的倫理規範が生まれます。聖書全巻が自分を映す鏡と言われる所以です。

十戒の前半は人が神の前にあるべき姿を表しています(ここで第五戒の「父母を敬え」は神の創造の担い手、神の代理者として両親と考えることで前半に位置付けることが出来ます)。そして後半は共に生きる人と人とに対する戒めで、その原則が第六戒、「殺してはならない」であります。

従って、第七戒以降の戒めも、「殺してはならない」の中に包含して読むことができます。「姦淫」「盗み」「偽証」「むさぼり」などの戒めは、結局のところ相手の人格や財産を奪い取ることであり、その人の生きる権利を否定することであり、即ち、殺人罪にほかなりません。そして、殺人罪は十戒前半で規定されている「神-人」関係をも破壊してしまうのです。

聖書は「殺されてはならない」ではなく、「殺してはならない」と記しています。これは、個人としての自殺から、国家としての殺人、即ち、戦争や死刑なども含めて受けとめる必要があります。自分の命は自分のものではなく神のものですから、神がその命を召されるまで、自分で終わらせてはなりません。また、戦争は為政者の「むさぼり」から起こされるもので、その結果、多くの人々が殺人者へとマインドコントロールされて戦地に派遣され、交替可能な使い捨て品のように扱われます。

聖書が求める安全保障は「殺されないための手立て」ではなく、「殺さないことへの決断」にあると言えるのです。敗戦を経験して後、他国に派遣するための軍隊を持たないと決めた日本です(でした)。私たちは、ここに69年間の平和が存在したことを語り伝える責務があります。

       TK生

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